こんにちわ、既婚でゲイのパパです
初めまして。ゲイパパと申します。アタシは一般企業で働く、ごく普通のビジネスマンです。妻と高校1年生の一人娘がいます。でも、誰にも言えない秘密があるんです。それは、アタシ、実はゲイなんです!ゲイなのに妻子持ち???ってどうなってるの???と思う方もいらっしゃるでしょう。ここでは、アタシがゲイというセクシャリティでありながら、結婚・出産という道をいかにして歩んできたのか?そしてひとりの夫・父として生活しながら、いかにゲイとしても生活しているのかをお話ししていこうと思います。
自分のセクシャリティへの気づき
アタシは、子供の頃から、カッコいい男の人が大好きでした。父のカラダに興味を持ち、男性の裸を見ては、ドキドキしてるような子供でした。そして、男の子とも遊ぶけれど、女の子と遊ぶのも大好きでした。普通男の子が興味を持つ、「野球」や「サッカー」には全く見向きもせず、洋服やアクセサリー(女装ではありませんよ!)に興味を持ち、好きなアニメも「アタックNo.1」とか「魔法使いサリー」とか「キャンディ・キャンディ」。そんなアタシは友人たちに、「オカマ!」と呼ばれました。当時、オカマは変人扱い。ちょっとイジメにも合いました。「どうして自分は、男の人が好きなんだろう?」そう思ってました。でもその理由が分からない。とにかく、自分はみんなとは違う人間なんだ、ということだけは分かりました。今ほど情報が入らなかった時代。自分のセクシャリティを知る術がありませんでした。でも中学生になった頃、ある雑誌の存在を知り、自分のセクシャリティが何なのか、分かりました!
雑誌「薔薇族」
小学校高学年から中学生になると、誰でも性に目覚めます。アタシも中学生で初めてオナニーを覚えました。最初はただ単に「気持ちがいい」と思っただけですが、どういうことによって性的興奮を覚えるのか、分かりませんでした。まわりの友達はみんな、TVに出てくるアイドルの水着や、エロ雑誌の女性ヌードを見て、興奮するのですが、アタシは、西城秀樹のギャランドゥーや、男性スターの裸などを見て、興奮を覚えました。そんなある日、ふと本屋の奥の方に、成人向けの本が並ぶ中に、「薔薇族」という聞きなれない雑誌を見つけました!そして、恐る恐るその雑誌を開くと、、、、、そこには正にアタシと同じ種類の人間がいることに初めて気付きました!でも、その雑誌を買う勇気があるはずもなく、その場を離れました。でも自分と同じ種類の人間がいることが分かった喜びは、今でも忘れられません。
ノンケとして生活し続けた、10代~20代前半
そんなアタシも、中学から高校生になると、同級生や後輩の女子から、告白されたりもしました。悪い気はしなかったので、デートしたり、バレンタインのチョコをもらったり、普通のノンケと変わらない10代を過ごしました。ただし、カラダの関係には発展せず、プラトニックな恋に終始してました。それは、女性と手をつないだり、キスしたりしても、性的興奮を感じなかったからです。でも、勇気を振り絞って、女の子とホテルにも行きましたが、結局ちゃんとしたSEXができずに、自信を失っていました。大学生になっても、彼女は何人かできましたが、キスまでで、SEXはできませんでした。社会人になってから、意を決して、ソープランドにも行きましたが、勃起することができず、ソープ嬢に慰められる始末。とにかく、自分のセクシャリティを克服しようともがいていた、青春時代でした。
人生の転機になった、一人暮らし
大学も無事卒業して、いい会社に就職し、自由にできるお金が手に入るようになりました。そこで思ったのは、「一人暮らしをしたい」ということでした。親との同居では、安心してオナニーもできないし、何と言っても、雑誌「薔薇族」を安心して部屋に置いておけなかったからです。そして、社会人2年目に貯金が100万できたので、親に一人暮らしを強引に宣言しました。そうと決まったら、決断の早いアタシ。早速物件を探し始め、わずか1週間で物件を決めました。駅から徒歩1分のワンルームマンション。もう、心が躍りました。早速買ったのは、「薔薇族」の最新号。そこで、男性と知り合う方法を覚えて、早速コンタクトを取りました。初めての男性は、30代くらいのぼっちゃり体型の人。車で迎えに来てくれて、彼の車の中で、アタシは、男性との初体験をしました。初めての、男の人。まだ女性経験も無いのに、とても興奮したことを覚えています。そこから、堰を切ったように、男遊びが始まりました。初めて発展場に行き、何人もの男性とSEXしました。二丁目の存在も知り、人生が本当に楽しくなりました。
結婚願望
男性に目覚めたアタシでしたが、まわりにゲイの友達はおらず、もっぱら友達はノンケの男女でした。親友もできて、よく恋や人生について語り合いました。そんな中、いろいろ面倒をかけた母親には、孫の顔を見せてあげたい、普通に女性と結婚したい、と思うようになりました。そこに、今の妻と知り合うこととなります。妻とは、同じ地域の音楽サークル仲間でした。とても優しく、面白く、アタシの心を惹きつけました。「あ、この女性となら結婚してもいいな」と思うようになったのです。そして、交際の申し入れ。すんなり受け入れてもらえました。そこから、男遊びを一旦封印しました。そしてアタシの部屋で、妻と二人きりになった時、自然とキスをして、ベッドに連れて行きました。そしたら!どういう訳か、妻とはちゃんとSEXができたのです!これには自分もビックリでした。「この女性を愛してる」という気持ちが、自然とそのまま性欲につながったのでしょう。女性とのSEXは、男性のSEXと違って、本当にステキなものでした。そうです、20代後半にして、無事アタシは童貞を失いました。それ以来、妻との交際とSEXは続き、ついに、交際2年目で結婚の申し入れをしました。答えは「YES」。二人は、ステキな結婚式を夢見て、新たな人生を歩むことになりました。
妻の妊娠、出産、そして
結婚して4年目にして、念願の子宝に恵まれました。これは妻の自己体調管理の賜物だと思います。排卵日をしっかり計算して、その日にSEX。それを繰り返して、程なく妊娠しました。ただ単にSEXしてるだけじゃあ、ダメなんですね。妊娠してからと言うもの、産まれてくる子供のことで頭がいっぱいでした。安定期に入るまで、不正出血があったりして、流産の危機もありましたが、妻は実家に里帰りして、出産に備えました。妻が実家に帰っている間、アタシは、また一人暮らしが始まりました。そうなると、ふとまた男遊びが始まり、発展場に通うようになりました。子供が産まれるのに、男遊び。ちょっと罪悪感がありましたが、快楽には勝てず、ずるずると日が経って行きました。そんな日々を送っていたら、たまたまSEXの相性が良かった、スポーツインストラクターとお付き合いするようになりました。男性と交際するのは、これが初めてで、とても新鮮だったのを覚えています。遠距離の交際でしたが、彼のことが好きになり、逢えるのを指折り数えてました。そうこうしている間に、出産が近づいてきたため、我に返ったアタシは、彼に既婚であることを告げ、別れることにしました。そしてついに、娘が生まれ、アタシは幸せの絶頂を迎えたのです。
子育てと既婚ゲイという生き方
子育ては、大変でしたが、とても毎日が楽しみでした。日々成長する我が子を見ると、幸せでいっぱいでした。でも人間とは欲深いもので、同時に男性ともお付き合いしたい、という気持ちが再び湧き上がってきたのです。罪悪感が無かったわけではありませんが、どうしても自分のセクシャリティを否定したくなかったのです。自分は夫であり、父であると同時に、ゲイでもあるのです。せっかくゲイとして生まれてきたのですから、一度きりの人生を楽しもうと思うようになりました。そして今、妻には内緒で、ステキな彼氏とお付き合いしています。そういう人生を選択したのは、「既婚ゲイ」のセクシャルマイノリティが結構存在することを知ったからです。今、時々既婚ゲイの仲間と集まって、情報交換しています。妻との関係のこと、子供のこと、仕事のこと、彼氏のことなど、話題は尽きません。年に何回もありませんが、楽しみな集まりです。
今回は、いかにアタシが「ゲイパパ」になったのか、一気に文章に書いてみました。同じ境遇の方、ゲイだけど子供が欲しいと思っている独身の方、これから情報交換していければいいな、と思います。今後ともよろしくお願いいたします。
画像出典:More than two legal parents?