サムソン高橋 毒書架 001~文芸誌「すばる」LGBT特集を読む

サムソン高橋が話題の本をレビューする新企画「サムソン高橋 毒書架」。
第一回はLGBT特集が話題の集英社の文芸誌「すばる」8月号を読みました。

集英社から発行されている雑誌『すばる』をご存じだろうか。
私は存在は知っていたが、手に取ったのは初めてだ。
今どき写真もカラーページも広告もほとんどない、ゴリゴリハードな文芸誌である。
『ワンピース』と同じ会社から発行されているとは思えない。
いや、むしろ『ワンピース』などで儲けられる会社だからこういう純文学雑誌を出せるのか。

講談社の『群像』、
新潮社の『新潮』、
文芸春秋の『文學界』、
河出書房新社の『文學』
とともに五大文芸誌とよばれるそうだが、そのうち一冊とも読んだことがなくて、申し訳ない。

なにせ生まれてこのかた小説を読み通したのは、中学の時の『赤毛のアン』くらいだ。

そんな根っからの文学オンチの私が『すばる』8月号を手に取ったのは、特集がLGBTだったからである。
ちらほらと『すばる』がそういう特集を組んだという情報を聞くものの、具体的に読んだ人の感想がほとんど出てこない。
LGBTメディアも、海外に住むゲイのコラムや海外のLGBTニュースをそのまま訳した記事ばかりで、『すばる』の『す』の字も取り上げられない。
日本を代表する文芸誌がLGBTについて特集を組んだことは、ポケモンGOが性別を規定していないダイバーシティゲームだったり、自由の女神に女装説が浮上していたニュースに比べて、LGBTにとって意味がないものなのだろうか? などということをletibeeの編集部員に向かってこぼしていると、 「だったら、あんたが読んで書けば?」 という極めてシンプルな提案をされたのだ。

そんなわけで私は950円を払ってきらびやかな虹色に彩られたこの雑誌を購入したわけである。
値段もなかなかゴリゴリハードだった。

さて、そんな『すばる』のLGBT特集。
「え?」 と最初に思ったのが、特集の副題に「海の向こうから」と書かれていることである。
特集は四本の文学評論、
四本のエッセイ、
インタビュー、
未翻訳のアメリカ小説で成り立っているが、評論はフランス、台湾、ロシア、アメリカの文学についてで、エッセイはアメリカの同性婚やキューバのLGBT文学に関して。
中にひとつ沖縄をテーマにしているものがあるが、米軍兵のドラァグ・クイーンについて。

それぞれは読みごたえが十分にあるものの、日本に関するものごとはほとんど出てこない。
今の日本でLGBTとして取り上げられる文学が特集を成さないほど少ないのか、海外ばかりのものにしたほうが体裁がいいと判断されたのか。おそらく両方だろうが、これにはさすがに寂しい気分になった。
という一番の不満は置いといて、特集でまず良かったのは本邦初公開の小説『動物のように、僕らは』。
2011年に発表されたジャスティン・トーレスのデビュー作である。
未翻訳の本作から、冒頭とラストの二章ずつを取ったダイジェスト版が載せられている。
翻訳者である高橋雅康氏の解説のタイトルが「遠い声、僕らの声」。
ゲイを公言していた天才作家トルーマン・カポーティ『遠い声 遠い部屋』(私が途中放棄した小説のひとつである)のもじりであることは明らか。
少年が何かに決別して大人への一歩を踏み出すというテーマは、流麗な文体とともにカポーティのそのデビュー作をほうふつさせなくもない。
粗野で貧しく結びつきの強い家庭環境で育った主人公が、ゲイであることで自分と家族との隔たりを感じはじめ、最終的にゲイバレ(ハッテン場のバスターミナルのトイレに通い詰めて妄想日記を書いてたのを読まれるという最悪のパターン)してしまって決定的に家族と離れてしまうというストーリー。
ゲイ小説としては古典的だが、LGBT運動が進みつつある中でも心揺さぶるのは昔と変わらぬオーソドックスなものなのだ。
そして古典的な分、この小説はゲイの枠内を簡単に飛び越えた普遍的なものになっている。

この小説は特集の最後に載せられているのだが、その内容は特集冒頭のフランス文学におけるLGBT論にふとリンクするような気がする。
サルトルとエルヴェ・ギベールをさわりに、さかのぼってバルザック、プルースト、ジャン・ジュネから再びエルヴェ・ギベールと、フランス文学に流れるゲイ要素を手繰っていく評論なのだが、最後に紹介されている2015年に刊行されたエドゥアール・ルイ『エディに別れを告げて』が、前時代的な価値観が支配する田舎の貧しい家庭で差別を受けて育ったゲイの少年がどうしようもない環境から脱出を目指すという、これも典型的で古典的なストーリーなのである。
芳醇なゲイ文学の歴史があり、LGBTの意識が高まったフランスの現在でも、それとはまったく関係なく偏見と憎悪が渦巻く野蛮な世界は存在する。
そしてそんな世界でも魂が慰められるのは、文学によってなのだ。
それを考えると、この特集で今の日本のLGBT文学が取り上げられていない事実には、やはり改めて不満を感じないでもない。

と、ここまで書いて、
「世の中の9割9分の人間にはここで書いていることが届かないかもしれない」
とふと思ってしまった。
2016年6月のフロリダのゲイクラブでの銃乱射事件が起こったときに、北丸雄二先生がカミングアウトについて論争になって
「まずは基礎知識としてフーコーを読んでから」
というようなことをおっしゃっていた。
私は「それって世の中の人間の9割9分をシャットアウトするようなもんだよなあ」と思ったのである。
私もフーコーは名前しか知らない。
世のLGBTの方々に、ここで書かれているLGBT文学の何%が届くのだろう、と思ってしまったのである。
私だって偉そうなことを言って、『赤毛のアン』しか読み通したことがない人間だ。

しかし、この特集にはLGBTの人なら誰の心にも届く、素晴らしい記事が掲載されていた。
それは、日本の著名なLGBTたちに
「どのような表現に影響を受けたか」
という質問で、三つの作品をあげてもらうインタビューだ。
「堅苦しすぎる」「海外一辺倒だ」という一目でわかる特集の安易な埋め合わせ企画かもしれない。
が、これが文句なく面白いのである。

インタビュー対象者は、
牧村朝子、
杉山文野、
三橋順子、
中村キヨ(珍)、
マーガレット、
田亀源五郎、
橋口亮輔の諸氏。
名前を打ち込むだけで私は金玉が縮んでしまうレズビアン、ゲイ、トランスジェンダー、クィアの影響力ある大御所。
みなさん立派な表現者でもある。
各人に与えられた文章量は比較的少ないが、「自分の人生に影響を与えた三つの作品」を語ることで、強烈極まりない皆さんの人生が凝縮した形でくっきり浮き上がってきているのだ。

本来なら何万字かけたロングインタビューでしかできないような技である。
取り上げられている作品も、高尚だったりマイナーだったりするものからゲーム、AKB48まで多種多様、というかフラットだ。
この記事を読んで、特集の前半の評論が個人的に今一つ楽しく読めなかったのはなぜだろう、ということが分かった気がする。
取り上げられている小説になじみがなかったり、文章が堅苦しかったからというわけではない。
評論する人がその小説にどれだけ心を震わされたのか、その小説を触媒にどれだけ自分が変わったのかが感じられなかったからである。
もちろんそんなのは文芸評論としては成り立たないのだが、それだけこのインタビュー記事が鮮やかで生き生きしていたのだ。
『すばる』8月号LGBT特集、このインタビューはLGBTの間で読まれるべき記事だと思う。
各人のファンの人はじっくり味わって読むといい。
あの人が影響を受けた作品はどんなものか、これを参考にたどっていくのも面白いだろう。

それにしても、『すばる』の今回のインタビュー記事を手掛けたのがこのLetibee取締役の外山氏とは恐れ入る。
サイトのほうもこの手腕を発揮していただきたいものだが。

subaru

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