ゲイが読むと分かりやすくて切なさ倍増 芥川賞受賞作「影裏」

処女作にして第157回芥川賞受賞として話題の、沼田真佑・著「影裏(えいり)」。
もう読まれましたか?
選考委員の高樹のぶ子氏のコメントに「性的なもの(ボーイズラブ)が背景にあるために、」という発言も注目されています。

※参考記事 産経ニュース
「ほとんどケンカ状態の激しい対立があった」 芥川賞選考委員の高樹のぶ子さん会見詳報

 

読み始めると、すぐに気づくのが自然の描写の巧みさです。
川釣りに出かける時に主人公が見ている景色がまさにキラキラと目の前に浮かんでくるような、と表現するのがぴったりなくらいの緻密さと見事な言葉の選び方で描かれていきます。

そんな自然描写の緻密さとは逆に、人間に関しての描写はえらくぼんやりしているという印象を受けます。
主人公の今野、そして今野の同僚である日浅。
主要な登場人物2人の年齢も、どんな容姿なのか、全く触れられていません。
そして主人公・今野の心の動きも、やけに客観的で冷静なトーンで描かれていて、感情の起伏が大きくないように感じられます。

この「人物に関してはっきり描写しない」というスタイルは、当然ながら読者の想像に委ねる部分が大きくなります。
そのスタイルは、この作品を面白いと感じる人と、よく分からないと感じる人に2分されることにつながると思います。

冒頭にご紹介した芥川賞の選者である高樹のぶ子氏のコメントにある「性的なもの(ボーイズラブ)が背景にあるために」という部分に関しても、作中ではっきりと記されているわけではありません。
そのコメントからこの作品を読んだBL(ボーイズラブ)読者の方の感想もアップされていました。

本当に「ボーイズラブ」?話題の芥川賞受賞作『影裏』を読んでみた

この筆者の方の感想としては「ボーイズラブであるとは認められない」ということのようです。

この作品が最初に受賞した文学界新人賞の受賞コメントで沼田氏は
「2人の男の関係をどう読むかは読者に委ねた。小説に真剣に向き合っていきたい」
と語っています。
ということなので、ここでは一人のゲイとしてこの2人の男の関係を如何に読んだのか、ということを語ってみることにします。

ゲイ目線で読むと、この作品は

ストレート男性(ノンケ)に惚れたゲイの一人相撲

として読み取れて、なかなか面白い作品でした。

② 主人公の主観に滲むゲイ要素

まず、冒頭の川釣りに向かう場面。
自然の緻密な描写に比べて人物がぼんやりとしか描かれていない、と書きましたが、最初に日浅が登場する際の描写には不穏なものが感じられます。

暑い日ゆえに、そして前日酒を痛飲したから余計になのか、しこたまかいている日浅の汗に関する描写は妙に艶めかしさを感じさせます。
そして、「何か大きなものの崩壊に脆く感動しやすくできていた」という日浅が、土砂降りで倒れた巨木・水楢(ミズナラ)に対して執着し、撫でたり耳を押し当てたりしながらうっとりしている様を、今野は携帯のカメラで撮影します。

この部分で、ゲイならばピンと来るでしょう。
好ましいと思っている男に対する観察眼には、当然のように性的な匂いが伴ってしまうこと。
そして、その男が少年のように目を輝かせて何らかに没頭していたら、その様を可愛いと思って写真に撮るのが当たり前だ、と。

日浅が突然退職して音信不通となったのち、今野は頻繁に日浅を見かけた社内のあちこちを歩き回ります。「むやみに職場をふらつくなんて職務怠慢だ」と冗談めかして上司に注意されるほどの頻度で。
それでも今野の心境として「日浅的人物」つまり、釣りと酒が好きで山道の運転が得意で「つき合いやすい同世代の独身の男」要するに友人を探すためだと語らせます。

しかし、これは自分に対する言い訳だと読めます。
なぜなら、社内で友人を求めることは悪くないだろうという開き直りのために「未来の夫や妻を見つける人もあるくらいだ」という比較を持ってきてしまうのですから。
言わずもがな、とはまさにこういうことです。

③ 読者を混乱させる”元恋人”の存在

再会した日浅に誘われ夜のあゆ釣りに出かける日に、「気詰まりな対話を重ねた末に別れた」、今野の昔の恋人からメールが届いたというエピソードが挿入されます。
その恋人の名前は、副島和哉。

唐突に記されるこのエピソードにより、今野はやっぱりゲイだったのか、と一旦は納得するのですが、これに続く記述で混乱させられます。

昔の恋人・副島和哉のメールに続いて、今野の妹からメールがきます。
それは、今野の妹が
「今つきあっている人と近々入籍します」
という報告のメールでした。
この妹からのメールを読んだ今野は、もし今野と和哉がつきあっていた当時、和哉が自分の家族に対してこんなメール(今付き合っている人・つまり今野と近々入籍します)を送っていたら「二人(今野と和哉)は結婚したんじゃないだろうか」と考えます。
今の日本では同性婚が認められているわけでもないのに、こういう風に考えるなんてえらく進歩的なゲイだなあとか、それ以前に家族の間で揉め事が起きるとか考えないんだね、とちょっと引っかかる違和感を覚えました。

そんな引っかかる部分は、その日の夜、副島和哉と電話で話す場面でさらに増幅します。
副島和哉に電話をかけると「記憶の中の面影と合わない、穏やかな女性の声」がして、今野は、別れる直前の夏に和哉が「性別適合手術を施術するつもりだ」と公言していたことを思い出します。

前記の「二人は結婚したんじゃないだろうか」と今野が考えた事と、副島和哉の「性別適合手術を施術するつもりだ」という言葉が重なって、今野はトランスジェンダー女性と付き合っていたストレート男性なのか? と一瞬考えてしまいました。

しかしもしそうであるならば、副島和哉という戸籍名ではなく女性の名前で呼ぶのが普通でしょう。つまり、今野は副島和哉を男性として認識して付き合っていたから、戸籍名で呼ぶのだろうと解釈しました。

その観点からもう一度読み返してみると、
「気詰まりな対話を重ねた末に別れた」
・別れる直前の夏に和哉が「性別適合手術を施術するつもりだ」と公言していた
という2点が繋がります。

つまり、
『ゲイである今野は男性として副島和哉が好きで付き合っていた。しかし、副島和哉は自分がトランスジェンダーであり、自分の性自認である女性として生きる事を選んだ』
それゆえ、2人は別れる事になったのだ、と納得しました。

④ ゲイ読者を切なくさせる主人公のゲイ感覚

日浅に夜の鮎釣りに誘われた今野は、まるでデートに誘われたかのように喜び、いそいそと準備をします。

絵に描いたような初心者が好むアウトドア・ウェアに身を包み、簡易テーブルやディレクターズ・チェア、チタン皿やシェラカップなどのアウトドア・グッズを用意し、タストヴァン(岩手県のスーパーチェーン”マルイチ”が展開する酒と輸入食品などを扱う店)によってキルシュ(発酵させたチェリーを使った蒸留酒)とピクルスを購入。

この描写で、「これってお洒落な暮らしに憧れて形から入ってしまうゲイの典型だよね」とゲイの読者はピンときます。
地方住まいのストレート男性(ノンケ)ならばます考えつかないような、やりすぎ感満載。地方出身の僕は、地方住まいのストレート男性の無骨な感覚と、お洒落に憧れるゲイ的センスの食い合わせの悪さは痛いほど身に沁みて理解しています。
だから、今野が勝手に盛り上がる心情も、またそれにより引き起こしてしまう気まずい雰囲気も想像に硬くないのです。

作中で日浅は、(何かにイラついたかのように)上記にあげた今野のお洒落に憧れるゲイ的センスをけちょんけちょんに攻撃します。
さらに、当然2人きりの夜だと思いディレクターズ・チェアは2脚しか用意していなかった今野のほのかな期待を裏切るかのように、日浅が声をかけていた井上氏というノンケ親父が途中から加わってくる始末。

ノンケ男に惚れて、勝手にデート感覚で舞い上がったものの、目論見外れて散々な目に遭い、勝手に傷つきいじける今野の気持ちが手に取るように理解できて、この部分は、正直切なくて仕方ありませんでした。
これに似たような経験がなくもない身としては、まさに身につまされる感覚なのです。

作品の核心には触れないここまででも、ゲイ目線で「影裏」を読むと実に分かりやすいという感想を、ご理解いただけますですしょうか?
あなたは、この作品をどのように読み解きますか?

※さらに結末まで触れる【蛇足】は、この後で。

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影裏 えいり

沼田真佑・著
文藝春秋・刊
定価:本体1,000円+税

第157回(2017年)芥川賞

公式サイト

※ご注意!
ここから先は結末に触れます。
まだ「影裏」を読んでいない方は、ぜひ先に読まれることをおすすめします。

 ⑤ 【蛇足】結末に向け、身につまされるばかり

ここを読んでいる方はすでに「影裏」を読まれているという前提で、しっかり結末部分にも触れたことを書いていきます。

 

勝手にデート気分になった夜の鮎釣りで、期待をすべて裏切られノンケ男にけちょんけちょんに傷つけられた場面だけでも、ゲイ読者としてはノンケに惚れたゲイの不器用さと勘違いぶりが身に沁みて切なくなりました。
しかし、ゲイ読者を切なくさせる著者の攻撃ははこんなものでは済みません。終盤に向かい、切なさは加速していくばかりです。

まずは、日浅と仲の良かった西山という年上の女性パート従業員との会話。
震災のあと音信不通になった日浅のことを心配して、彼が勤めている互助会(冠婚葬祭のための積立を販売する会社)に安否確認をした時に、会社の上司からどんな関係なのかを聞かれた西山は「彼女です」と答えたと言います。
今野はその西山の言葉を「(日浅が)独身の三十男だから、下手に母親だと偽るよりはまだしも近いと判断したのか」と理解します。
しかし、それは自分を納得させるための屁理屈としか思えません。

冷静に考えてみれば、西山は日浅に頼まれ、自分の葬儀と夫の葬儀プランに続けて加入。さらに「これが最後だ」と頼まれ娘の結婚プランに加入。その後、お礼がしたいと日浅に呼び出されラーメンをご馳走になり、さらにもう一口加入をと頼まれて断ります。ところがその翌週に、借金の無心をされて求められた額に5万円上乗せして貸しているのです。
ただ単に仲が良かっただけの女性パートさんに、こんなに頼ってくるものでしょうか?
そして、西山もただ仲良かっただけの年下の元社員に、結構な金額を(しかも上乗せして)貸すでしょうか?
西山が日浅にしてあげたことを今野は「おそらくは一種の親心から」と自分を納得させるように考えます。
でも、この今野の考え方は無理がありすぎます。
日浅と西山の間には、なんらかの深い関係があったと考えるのが普通でしょう。
つまり、日浅の勤務先である互助会の上司から関係性を問われた西山が、即座に「彼女です」と答えたのは、文字どおり深い関係のある「彼女(恋人)」という意味だと捉えるのが自然だと思うのです。

しかし、ノンケ男に惚れたゲイとしては、そうは考えたくありません。
一時期、自分だけが日浅にとってスペシャルな存在であったという勘違いの思い込みが今野を支えていたのですから。
その時期に、ノンケの日浅が年上の女性と肉体関係があったなどということは、到底受け入れられられるものではないのです。

西山の話を聞けば、突然会社を辞めて転職した日浅が、音信不通の期間を経ていきなり今野の前に現れた意図が理解できるはずです。
実際、頼まれて一口入っているのですから。
そのお礼に、という口実で鮎釣りに誘い出したことも、西山の話と付き合わせれば、なんらかの意図があったと理解できるはずです。
その場に、井上氏を呼んだ理由は、自分が如何に顧客に信頼されているかを示すためではなかったのか。
あの晩、今野に楽しい時間を過ごさせて借金の無心をするのではなかったのか。
そんな思惑があったのに、今野がすっかりデートな気分でいたことで計算が狂い腹立たしくなり、攻撃的になったのではないか。
そこで、金の無心をする標的を西山に変えたのではないか。

こんなことを読んでいる側は推測してしまうのですが、ノンケ男に惚れてしまい頭の中がお花畑になってしまっているゲイには、冷静さを持てというのは無理な話なのです。
だから、津波に巻き込まれていく日浅のイメージが、とてもロマンティックで詩的な情景として浮かんできても仕方ありません。

この今野のダメさが手に取るように理解できて、切なくて仕方なくなりました。
惚れている時、特に自分が相手を想うほどは相手が想ってくれない時には、好きという感情だけで頭の中が沸騰していて、冷静な判断力を持つなんて無理なことです。
ましてや相手がノンケ男であるならば、自分の想いが叶わないが故に、頭の中はさらに激しく沸騰するものです。

今野はだめ押しのように、日浅の父から彼の実像を聞かされます。

小学生の時の日浅のエピソード(一人としか馴れ合わず、その相手をどんどん変えていった)を聞けば、大人になった彼が会社での人間関係をどう構築したのか想像がつくはずです。
大人になった日浅は、自分に対して性的な魅力を感じる人を見極める能力に長けていたのでしょう。だから、会社の中でも、西山と今野が自分に抱く好意を感じ取り、接近していき親密になったのではないでしょうか。

小学生の頃は常に一人とだけ付き合い、その相手をどんどん変えていった日浅。
その行為は、人の気持ちを操る実験を繰り返していたように思えてなりません。
子供の頃に芽生えた特性は、中学→高校→大学(通ったのかどうかは不明)→社会人、と時を経るにつれ研ぎ澄まされ変容していくものです。
大人になった日浅は、他人が自分に寄せる性的な関心や好意を察知し、近づき親しくなり、その人をなんらかの形で利用する術を身につけてしまったのではないでしょうか。
血の繋がった父親は、日浅のその性質を冷静に見抜いていたから縁を切ったのでしょう。

さすがに頭の中が沸騰していてロマンティックなお花畑状態の今野も、ここまで話をされれば目が覚めるかと思いきや、震災後間もない頃に営業休止なかの銀行ATMをバールでこじ開けようとして逮捕された男と「日浅がその男の同胞であるのを頼もしく感じた」と思ってしまう始末。

つける薬がないとはまさにこのこと、と呆れる気持ちが半分。
しかし、ぷっつり音信不通になった分、日浅への想いがここの中で燻り続けているわけだから、お花畑から抜け出せなくても仕方ない、と共感はしないまでも気持ちは理解できる部分が半分。
それと同時に、ここまでゲイを惚れさせる日浅という男はどんなに魅力的だったのか、描写が詳しくない分、想像だけが逞しくなっていくのです。

「影裏」はとても短い作品ですが、わざと明確にせずにぼやかした書き方をしている部分が引っかかり、確認するために何度も読み返してしまいます。
そして、ここに書いてきたようなことを、あれやこれやと考えさせられてしまうのです。
つまり、まんまと著者の手のひらの上で踊らされてしまった、ということでしょう。

そして、それが悔しいのではなく、ある種の快感を覚えたのでした。

 

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いたる

LGBTに関する様々な情報、トピック、人を、深く掘り下げたり、体験したり、直接会って話を聞いたりしてきちんと理解し、それを誰もが分かる平易な言葉で広く伝えることが自分の使命と自認している51歳、大分県別府市出身。LGBT関連のバー/飲食店情報を網羅する「jgcm/agcm」プロデューサー。ゲイ雑誌「月刊G-men」元編集長。現在、毎週火曜日に新宿2丁目の「A Day In The Life」(新宿区新宿2-13-16 藤井ビル 203 )にてセクシャリティ・フリーのゲイバー「いたるの部屋」を営業中。 Twitterアカウント @itaru1964