サムソン高橋の非シャイニーゲイ宣言①「ホモには無職もホームレスもいる」

サムソン高橋

※本記事には刺激的な表現が含まれています。修正を加えつつも、著者の意思を尊重して掲載しております。

2015年のホモ流行語大賞は「シャイニー」だ

みなさんもうご存知かと思うが、2015年のホモ流行語大賞は「シャイニー」に決定した。「エンカレッジ」「異常動物」といった強力なライバルをかわしての受賞である。最後の局面で「異常動物」が鮮やかに登場し、怒涛の追い上げを見せたが、僅差でかわしての受賞となった。

「シャイニー」には心よりの拍手を送り、「異常動物」にはその健闘を称えたいところである。年半ばにホモ界を席巻した「エンカレッジ」の功績も忘れてはならない。2016年はどんな言葉がホモの話題にのぼるのだろう。今から楽しみでならない。

「シャイニー」が持つ魔力

もちろんこれは、さきほど性器をいじりながら適当にでっちあげた文章である。そもそも、エンカレッジという言葉など、今の今まで完全に忘れてしまっていた。北丸雄二の旬は思ったよりも短かったようである。

しかし今年、多くのホモの心にくっきりと刻み込まれた言葉が「シャイニー」なのは間違いないだろう。

ある者の心には明朝体で黄金のレリーフのように、またある者の心には淡古印体で漆黒の烙印のように。うっかり自分のライフスタイルを人生規模で振り返らざるを得ない、強力な魔力がこの言葉には含まれていた。

「シャイニーw」

この言葉が最初に取り上げられたときには、私を含め皆がこんなふうに馬鹿にした半笑いで済ませていたのに、一年もしないうちにホモ界にくっきりと根をおろしてしまったのは、この言葉に隠された魔力の証明に他ならないだろう。

「シャイニー」とはよく言ったものだと思うのが、この言葉における輝きは自ら発光するわけではなく、ほかの光に照らされ反射して光り輝くという意味合いが強いからである。

光射す所に闇が生まれる

2015年は、渋谷区や世田谷区にてパートナーシップ条例が施行されたこともあって、LGBT業界に注目が集まった年でもあった。1991年に女性誌クレアでゲイ特集が組まれて一般社会でもちょっとこじゃれたゲイブームが起こった。あれがもう四半世紀前だということに驚くが、そのとき以来の印象だろうか。

ある程度行くとこまで行きついて、「次のゲイシーンのムーブメント」と言われても、

「次にガチムチが肛門に挿入したがる違法ドラッグは何かしら?」

くらいしか思い浮かばない、半ば腐り果てたかのような日本のゲイシーンが、この期に及んで一般社会から注目を浴びるとは予想もしていなかった。

今年はゲイシーンに光が当てられた年でもあったのだ。

前々から私が思っていたことがある。ゲイシーンに光が当たると、その光を反射して確かに一部のゲイは光り輝く。イケメンや、高収入や、高学歴や、社会的地位が高くて、友だちの多いかたがたである。しかしながら、光が当たればその影はいっそうくっきり濃くなるのではないか。

言うまでもない。その影とは、ブスや、無職や、低学歴や、社会の底辺で、友だちゼロの私たちである。あ、みなさんをうっかり巻き込んで申し訳ない。中でも「無職」はすごい。無職というだけで、どんなイケメンでもシャイニーと呼ぶことは不可能だ。無職のつや消し/マット効果はバツグンである。

そして今こんなことを書きながら、ブス・無職・高卒・中年・友だちゼロと三拍子どころか四拍子も五拍子もそろった私の、マット効果どころではない、どんな光も吸収して抜け出せないブラックホールのような非シャイニーっぷりに改めて背筋が凍る思いをしている……。

『まずは、ゲイの友だちをつくりなさい』

そういえば、先ごろ『まずは、ゲイの友だちをつくりなさい』という本を手に入れた。

「えーっ! この本、セフレの作り方とか教えてくれるんだ? すっごーい!」

と勘違いした私(ゲイの友だち=セフレという認識の持ち主)はさっそく読んでみたのだが、どうやら思っていたものとは多少違っていたようである。

そこでは、地方で鬱屈していたゲイの少年が、自分を受け入れ、社会に受け入れられていくさまが、まるで暗闇できらめきを失った水晶が光を浴びて自分の価値に気付き、キラキラと輝きだすように、素敵に描かれていた。

ゲイ歴30年で友だちゼロを責められる気分で読んでるとだんだん変な気持ちに…いつの間にかアクメを感じて…中年ホモがよく自撮りでやらかすセルフおねむ画像を意識

ゲイ歴30年で友だちゼロを責められる気分で読んでるとだんだん変な気持ちに…中年ホモがよく自撮りでやらかすセルフおねむ画像を意識

「……えーっと、今って、2015年だよね……?」

次にガチムチが肛門に入れたがる違法ドラッグについてくらいしか今のゲイシーンについて興味がない私はそんなことを思ってしまったが、確かにこういう本はエバーグリーンであらなければならない。それに、この本には2015年にふさわしい意匠がされていた。そして、私はそこに最大の違和感を感じていた。

この本には「マーケティング」という言葉が頻出している。

これは、基本的に、ゲイ/LGBTの価値を一般社会にプレゼンする本だったのである。それは正しいことかもしれない。

ゲイが金に汚く、性格が悪く、セックスにルーズなことを世間にアピールするのは、ひいてはゲイのためにもなることだ(※これは筆者がゲイに抱いている偏見であり『まずは、ゲイの友だちをつくりなさい』にはそんなことひとことも書かれてません)。

ただ、「二丁目には様々な職業の人たちが集まる。普通のリーマンはもちろん、芸能人とか、社長とか、役人とか……」といったくだりには、生理的に反感を抱いてしまい、声を大にして叫びたくなった。

「台東区のハッテン場には、無職やホームレスもいるよ!」

しかしここでふと思ったが、この事実をどこに向けてプレゼンし、マーケティングすれば良いのか……。

思い出すのが、以前かかわっていたガチムチ・イケメン至上主義のゲイ雑誌に「もっとブスを扱ってよ!」という今考えればどだい無理な提案をしたときに即答されたこの言葉である。

「ブスは金になりませんよ」

これからのゲイシーンは、一般社会から光が当てられた分、ブスや無職といったゼニゴケ類は死に絶えてしまうのだろうか。いや、そうはさせない。ブスだって、無職だって、日陰で生き続けてみせる。この連載では、その魂の叫びをつづっていこうと思う(その前に職探ししろ、という声には耳をふさぎながら)。

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サムソン高橋

2 件のコメント

  • ご存知ではあると思いますがホモという言葉は差別用語で不快になさる方々もいらっしゃると思いますのでゲイと書かれた方がよろしいかと思います。

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