Yさんの死後、実家に戻った僕
いつまでもお世話になっているわけにもいかないため、僕は実家に舞い戻りました。
懸命に兄が説得をしてくれていたようで、母親は僕が触れたものへの除菌をしなくなっておりました。
が、相変わらず口は聞かない状況でした。
少しでも、家にいる時間が減れば。
そう思った僕は知人の紹介を受け、アルバイトを始めました。
忙しくしているとYさんの死も、母親とのことも忘れることが出来ましたが、仕事が終わるとぼんやりとYさんのことを考えてしまう僕がいました。
傷はそうそう治らない。
新しい出会いでもあれば、少しは傷は癒えるのかな?
そう思った僕はYさんの死後3か月程経っていた為、掲示板に出会いを求めるため、書き込みをしました。
失ったYさんというピースの代わりを探すように。
HIVを公表し出会いを模索
現在も存在するサイトですが、当時はより多くの方が利用をされているサイトがあり、そちらの恋人や友達を募集する掲示板に僕は書き込みをしました。
HIVであることを隠したくなかった僕はその旨も書き込みました。
少しですがメールがきたので、僕は理解がある人もいるんだなと思いメールを開きました。
しかし、そこにあったのは理解のあるメールではありませんでした。
誹謗中傷
メールを開いた僕は驚愕しました。
そこにあったのは
『病気のくせに出会いを求めるな』
『病気をばらまくのはやめてもらえますか』
『早く死んでください』
といった誹謗中傷でした。
無料で獲得できるメールアドレスであったため、どこの誰なのかも分からない。
僕はそのメールを一つ一つ削除をしていきました。
あぁ、どうしてこうも理解がないのか……
そう考えていたとき、ふととある人に言われた言葉を思い出しました。
『人は自分が経験したことしか理解が出来ない生き物なのよ。』
その言葉を思い出し、納得をしてしまいました。
そして、僕はもう公表するのはやめようと思い、恋友掲示板にHIVであることは書かずに募集をかけました。
いくつかのメール
掲示板に記載をしてから一時間ほどでいくつかメールが届いていました。
一人一人返信をし、少しメールでお話をしていました。
とある方が僕と早々にエッチをしたいとおっしゃられたので、僕はそのタイミングでHIVに感染しているため、セーファーセックスしかできない旨を伝えました。
するとその人は、『病気の人とは関わりたくありません。』とメールを送り、ブロックをされてしまいました。
伝えるタイミングを間違えたのかな…そう思った僕は次の人はお会いしてからお伝えしようと思い、ほかの方とメールを続けました。
その中で一人メールが続いた方がおり、お会いすることになりました。
待ち合わせの日に。
待ち合わせの場所で待っているととても背が高く、スキンヘッドに近い坊主の方が近づいてきました。
『まさしさんですか?』
そう尋ねられたため、そうですとお答えすると待ち合わせをしていたTさんであると自己紹介をして頂きました。
近くの喫茶店に入りお茶をし、街中をブラブラしました。
くしゃっとした笑顔がとてもYさんによく似ていて、少し心惹かれている自分がいました。
色々なお話しをし、お別れのタイミングが来た際に、Tさんからお付き合いをしてほしいと申し出がありました。
嬉しく思いましたが、僕は答えられずにいましたが、意を決してTさんにHIVに感染をしていることを伝えました。
しかし、Tさんは動じることなく僕を抱きしめ、それでもいいと言ってくれたのです。
僕はボロボロと涙を流しながら『よろしくお願いします。』と伝えました。
またTさんは独り暮らしだったため、実家を出てTさんと暮らすことになりました。
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