まさか俺が…HIVに感染したゲイの話6 精神障害、1年半の不眠症との闘い

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精神障害

HIVに感染したことが判明したとき、耐え難い現実を受け入れることができず、離人症という症状が起きました。それまで「精神病なんて、気の弱い奴がなるもんだ」と思っていた私にはとても衝撃的でした。ここでは、私がたどった精神病との闘いの日々を述べたいと思います。

離人症の発症

第1話でも触れていますが、私は自分がHIVに感染したことが分かったときに”離人症”という病気を発症しました。離人症は解離性障害の一種で、Wikipedia には以下のような説明があります。

「離人感」等と称されるものは誰しも日常的に感じるもので、解りやすい例は「映画や小説などに集中している時、周囲の呼びかけが聞こえない」等であるが、レベルが深く、かつ慢性的であり、日常生活に支障をきたすような場合に「障害」とされる。 解離性障害とも密接な関係にあるが、他の疾患においても「離人感」があらわれる。

  • 自分の精神過程または身体から遊離して、あたかも自分が外部の傍観者であるかのように(例えば夢の中であるかのように)感じることが持続的または反復的である
  • 離人体験の間も、現実検討能力は正常に保たれている。
  • それにより本人が著しい苦痛を感じ、または社会的・職業的な領域で支障をきたしている。
  • 薬物や前述の精神疾患その他の生理学的作用によるものではない。

Wikipedia- 解離性障害

わかりにくいですが、私が実感として感じたのは「視界がまるでテレビを見ている感覚」です。自分のいる世界がどこか遠くにあるような感覚で、自分の見る世界がテレビを見ている感覚になりました。デパスというエチゾラム系の精神薬を飲むと一時的におさまるのですが、薬の効果が切れてくるとまた眠れなくなりますから、継続的に薬を飲んでいないといけませんでした。夜は薬なしでは一睡もできず、全身がグッタリと疲れているのに頭はさっぱり眠くならなくて…今思い出しても、生き地獄でした。精神病が原因で自殺する人もいると思いますが、今の私なら自殺してしまうのも納得できます。いつまでも治らない(ように感じる)生き地獄です。

「治そう」と足搔いた1年間

とても辛くて、夜も眠れないような日々を送りながらも、「きっといつか良くなる」、そう信じていました。どうやったら治るのか…いろんな本を読んだり、インターネットで論文を見つけて読んだりして、必死に回答を探しました。HIV陽性者のミーティングに行って他の感染者と交流したり、HIVに感染したことを知っている友人とHIVのことを話したり….とにかく治療に少しでも繋がるようなことを、お金や時間の許す限りなんでもトライしました。

HIVに感染して1年が経った頃、東京医科大学病院の先生に「感染して1年が経ちました。私はデパスを飲まなくてもよくなるように、本格的に心理的な治療を受けたいと思っています。どこかプログラムなどを提供している心療内科を紹介してくれませんか?」と聞きました。東新宿にある心療内科をご紹介して頂き、本格的に薬物治療を開始しました。うつ病に使われる薬を容量を守って決まった日時に飲みます。副作用もありました。

しかし…3ヶ月〜半年くらい経っても、あまり効果は出ませんでした。うつ病などの治療は薬をある程度飲めばすぐ治るというものではなく、年単位で気長に治していかなければいけないものです。そう簡単には治りません。医師から治療を開始する前にそう説明されたのに、なかなかよくならないのを見て、私は「本当にこれは効いているのか?」と疑念を持たざるを得ませんでした。後日、東京医科大学病院の心理カウンセラーの人から「1年以上あなたを見ているけど、あなたは抗うつ薬を飲んで治療するよりも、気にしないようにすることが一番治療に繋がると思う」と助言を頂いたのもあり、医師に相談した上で抗うつ薬の薬物治療を終了してしまいました。

どうしたら治るんだろう….気にするなと言われても、眠れないし、パニック症状が起きると呼吸もできないし…気にしない方が難しい。感染がわかったときほど強い薬は飲まなくても良くなってきてはいたものの、それでも薬がないと苦しくて生きていけない状態であることには変わりませんでした。

一番の治療薬となったもの

結局、薬物治療をやめてしまい心理カウンセラーにいわれたように「気にしないようにしよう」と決めて生活するようにしました。体調が良い感じの日は、1日、精神薬を飲まないで生活してみるようなこともしてみたりしました。しかし、それでもやはり薬を手放すことはできませんでした。

1つだけ、薬物治療をやめたころに私の生活の中で変化がありました。それは、恋人でした。薬物治療を始める頃くらいにいた恋人とはその頃に別れてしまい、長らくシングルだったのですが、治療をやめるころに新しい恋人ができました。

この、恋人の存在が私にとって一番の治療薬でした。その人は、もともと自分がそういう病気になっているということを知っていました。「治したい、治したい」としつこく言う自分に、このように言ってくれたのをよく覚えています。

「誰だっていつか親は死ぬし、友達だっていつか死ぬ。誰にだって、人生の中では耐えきれないくらい悲しくて、辛くて仕方ない時がある。誰だってそういう時、精神的に何かしら問題が起こるもんだよ。人生が辛いと思うのは君だけじゃなくて、みんな思ってることだ。でもそれが人生だし、君が人間だから辛いと感じるわけで。だから長い人生の中で、そうやって精神に障害が起きる時期があったってなにもおかしくないし、誰だって一生のうちそういう時はある。だから精神に問題があったって、何も恥ずかしいことではないと思うし、焦ることはないんだよ。」

私は少しずつ、恋人に支えられながら前向きに生きよう、気にしないで生きようと思うようになりました。「治そう」とか「治したい」という思いが少しずつ薄れていき、「人になんて思われたって気にしない」と思うようになりました。辛い時は「辛いから今日は1日家にいたい」、悲しい時は「今はとにかく悲しい」と恋人の前ではっきり言って、何かしらいつも助けを求めました。また、恋人から「運動しろ」という強いプレッシャーにより、定期的に運動もするようになりました。不思議にも、恋人の支えのおかげで、少しずつ薬を飲まなくても大丈夫な日が増えていきました。

そして、あるときに「あれ、そういえば最近全然薬飲んでない」と気づきました。薬を飲まなくても眠ることができ、疲れることもありません。感染した頃は本当にどうなるのか、一生治らないのではないかと思っていましたが、少しずつながらも回復し…今ではなんとか良好な日々を送ることができるようになってきました。

画像出典:Clinicare Discount Pharmacy

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