Sponsored by 南アフリカ観光局
「アフリカ」と聞くと、治安が悪い、いろいろな伝染病がある、発展途上である、といった想像をする人が多いのではないだろうか。実際に僕が南アフリカに行ってくる、と友人に話した時、やはり「病気に気をつけてね」「危険な目に合わないようにね」と言われることがほとんど。
しかし!
そんなイメージを払拭するかの南アフリカ旅行。今回で最後の南アフリカシリーズではヨハネスブルグの紹介と、晩年をここで過ごしたネルソン・マンデラと
南アフリカでのLGBT関連の法整備についてご紹介します!
第一弾〜第三弾はこちら
第一弾
人種が交差する街、ヨハネスブルグ
ヨハネスブルグは南アフリカの最大の都市であり、経済の中心です。地区によって毛色が全く違う。
アパルトヘイト時代、黒人専用の居住区として指定されたソウェトと呼ばれる地域で、その時代の名残で黒人を見ることが多い地域でした。
街にはアートやお土産品が並んでいた。
街の店舗には、夏の”Merry Christmas”が飾られていた。
筆者は北海道出身であり、カラッとした風の吹くクリスマスは初めてで新鮮だった。
南アフリカ、LGBT関連法案の歴史
こちらは南アフリカの憲法裁判所。
外には基本的人権がそれぞれモチーフとしたレリーグが飾られている。
シリーズの第一回で書いたように、アフリカでは同性婚が認められている国は、南アフリカ共和国が唯一の国である。
また、南アフリカでは、同性婚だけでなく、同性間の性交渉や、養子縁組の引き受け、差別も禁止、さらには同性愛を公表しての軍隊勤務も可能になっている。
トランスジェンダーの人たちが性別を変えるためには、日本ではGID法による一つの要件として、外性器が移行後の性別と類似していなければならないが、南アフリカではホルモン治療をしていれば十分で、性別適合手術は必要としていない。
もともとアパルトヘイト時代にはソドミー法により、同性間の性交渉は禁止されており、同性婚は認められていなかった。
1990年、ネルソン・マンデラが政治犯として逮捕されてから27年間の投獄生活に終止符を打ち、釈放された。権利擁護運動のひとつとして、LGBTの権利も、1993年に作成された新たな南アフリカの法案の一つとして、性自認と性別指向に基づく差別を禁止する法案も盛り込まれていた。結果彼は1994年に大統領に就任し、その運動は身を結び、1996年の憲法で正式にその権利を守ることを約束した。
こうして南アフリカはLGBTの権利を保障した憲法を持つ初めての国となった。
2006年には、この憲法裁判所で、同性婚を認めないことが違憲であるとの判決を下し、同性婚が公的に認められるようになる。
まだ、南アフリカでも両手を上げて安心と呼べる環境ではないことは確かだが、街の人と話し、彼が亡くなった今も、そのマインドは受け継がれているように思えた。
そのことを考えると、日本でも認められる日が来るのだろうかと思いを馳せる。
夜はこちらの店で彼はゲイ雑誌のGAY PAGESの編集長だ。
地元の大手自動車メーカーで働いていた彼は、組合とうまく付き合いながら、この雑誌をローカルなゲイカルチャーやコミュニティの発展に一役買っていた。
夜はこちらのホテルにて。
the MASLOW。
最後のランチはこちらの店舗で。
白人の多く暮らす地域も、黒人の多く暮らす地域も見渡せる大きな窓がついていた。
最後の飛行機から見るヨハネスブルグは、最初に南アフリカと聞いて想像した印象とは全く違った見え方だった。
自然豊かで、様々な文化が入りまじり、歴史上の軋轢も超えて(克服したとは言えないだろうが)、いろいろな人が一同に会す、南アフリカ。
一度訪れてみてはいかがだろうか。