差別に負けずに生きてきた、あるゲイの話 1/3

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ファッション業界勤務ゲイ男性Mさん(39歳)にお話を伺った。Mさんはクリスチャンの家庭に生まれ育ち、18歳までの青春期をアメリカのカリフォルニア州で過ごした。今の日本とは違い、インターネットも発達しておらず、LGBTの認識も薄い時代を、アメリカの閉鎖的な地域で過ごしてきた。

「生きていれば絶対によくなるから。」

最近はゲイであることに引け目を感じている人が少ないと思う。昔、自分が学生の頃はネットの環境がなかった。文通でコミュニケーションしてたの。バレないように郵便局留めにして(笑)。昔は何かをするってことに対してハードルがものすごく高かったのよね。
テレビとかでも「ニューハーフとオカマに突撃!」っていうものがすごく多くて、ゲイの世界はアングラみたいなもんだった。「わかってる人しか来ちゃだめだよ」って雰囲気?踏み入るには覚悟が必要だった。
その後暗証番号8桁でボックスを開設しなくちゃいけない伝言ダイヤルなるものが登場するんだけど、その暗証番号が「01050105(おとこおとこ)」ってのはゲイだっていう暗黙の了解で。「何時にどこどこで待ってます」っていうふうにやりとりをしていた。
つまり、無理して隠してるとか、会いたいけど会えないって場合がものすごく多かったのね。

でも、今って二丁目に来ようが来まいがどうやってでも会えるじゃん、アプリなんかで。自分生活そのままで。ナチュラルに生活してる人が多いよね。押さえつけられてるとか、渇望して何かをしたいってよりも、インスタントに全てが手に入る。今はそんな街に一切行かずとも全部が家の中で買える。劇的に感覚が変わった。だから、「声を大にして叫びたい、僕たちはこうです」とかいうのはとっくの昔に通り越してる。生活してて「別に自分のこと否定したことない」って人も多分いると思うの。悪いとは思ってませんみたいな。
でも、自分は悪いと思ってた。

自分は「間違った存在」だと思っていた。

子供の頃から言われてたの。認めたのは、20歳過ぎてからかな。自分でなんとなく吹っ切れたのは。
ちっちゃい時から自分はこんな感じで、「オカマー」とか馬鹿にされることが多かったの。まあそれに対してネガティブになることはなくって、「オカマだい!」って言って楽観的に立ち向かってた(笑)。でも、やっぱ「オカマ」って言葉は好きじゃなかったし、卑下されてる気分ではあったの。女の子とばっかり遊んでた。

思春期になって、周りが付き合うとか言い始めて、再認識した。あ、ゲイだったんだって。自分でもびっくりしちゃって。

自分の家はクリスチャンの家庭だったの。ゲイとかは悪いことっていうふうに言われていた。それを聞いてすごく落ちこんだ。未来もない、変えられるのかもわからない、同士もいない、誰に何を言っていいのかも分からない。どうしようって。

思春期の抑えられない衝動

でも思春期になって、性的対象を意識し始めるとそっちにがんがん引かれて行っちゃうものだったのよ。その時僕はアメリカにいたんだけど、ティーンエイジャーにとってはアメリカって自由でもなんでもない。危ないし、ロサンゼルスには日本みたいに電車もないし、車がないとどこにも行けない。だから住んでる町のコミュニティ以外なかったの。その頃はネットもないしね。
ラジオ文化はあって、お悩み相談で「実はゲイなんです!」とか言うのは聞いてた。そのお悩み相談の係の人が言うには、「ゲイ&レズビアンセンターってのがある」って。そこの電話番号を聞いて電話をかけた。本拠地はハリウッドだから遠かったんだけど、住んでるところから車で10分くらいのところに分所があるって聞いたの。親には言えないから、嘘ついて友達に送ってもらって行った。

そこで初めて、同世代のこっちの子たちに会った。「えーっ」みたいな。それが16の時かな。その集まりがきっかけでコミュニティが生まれて、ウエストハリウッド(二丁目みたいなところ)にも行くようになった。

罪悪感からの自傷行為

でも、親に隠れてやってるってことに罪悪感があった。自分が熱望していた同士に対しての探求心を抑えられず、友達と会う。家が厳しかったから、夜中に家から出ることは許されてなかった。だから、親が寝たあとに窓から出て行って、帰ってくる。部屋に入ったかどうかわかるよう、ドアの上のとこに紙挟んでおいたりして。

進めば進むほど、罪悪感と隣り合わせ。悪いことしてるとは思ってる。でも楽しい。それでどんどんバランスを崩していっちゃったの。罪悪感から、自分を傷付けるようになった。カミソリで切るの。まあでも死ぬまでの根性はないから、とりあえず傷つける。そうすると悪い存在を痛めつけることで安心する。血が出たら落ち着いて寝るみたいな。怒りと、悲しみと、複雑な感情が入り混じった夜を毎日過ごしてた。同士の間ではそういう話もするけど、「所詮、傷の舐め合いじゃないか」って思うようになった。「いったいどこに行き着くんだ」って、不安だった。

>> 2/3 「そのままを認めてくれる友達の存在」

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