mixiでの公表
HIVが判明し、ミーティングにも参加したくさんの方がHIVにかかっていることが分かり、自分一人ではないんだと僕は思っていました。この現実が変わるわけではないし、そういう人と会えるかも知れない。そういう人となら、僕はお付き合いを出来るかもしれない。
そう思った僕はmixi(当時人気だったソーシャルメディアサイト)のプロフィール欄にHIVであることを記載しました。
周囲の反応
HIVであることを記載した後、僕のマイミク(Facebook でいう友人)はどんどん減っていきました。
また、年上の方々より、そういったことは書くなというメール等を頂くことも増えました。
事実をどうして伝えてはいけないのか、当時の僕には理解が出来ませんでした。が、理解できることが起きるまでそう時間はかかりませんでした。
2ちゃんねるでの誹謗中傷
僕は太めの方が好きで、一般的にデブ専と言われる細い者になります。そのデブ細関連のスレッドが2ちゃんねるにあります。
そのスレッドが僕の件で埋まっていったのです。
当時、そのことを伝えていた好意を寄せあっていた方の元彼が2ちゃんねるに僕の件を書き込んだのでした。元彼と寄りを戻したい。だから、そうすればいい、そう思ったのでしょう。それから、その彼はお店を閉めてしまい、彼との付き合いもなくなってしまった。
誹謗中傷の荒らし…二丁目で「死ね」
それからというもの、二丁目を歩いてて知らない人に『死ね』と言われたり、飲み屋で『帰れ』と言われたりあからさまないやがらせを受けることが増えました。
2ちゃんねるのそのスレッドには僕の画像が貼られたり、当時使っていたメールアドレスや電話番号を書いていた人もいました。
途端に怖くなった僕は、mixiの自己紹介からその内容を消しました。しかし、一度立ち上った火は消えることなく、燃え続け、3000件ほど僕一人の話題、罵詈雑言、誹謗中傷が続きました。
どうして?
僕はただ、そうだと書いただけ。
なにもしてないのに。
HIVへの差別、偏見…
それは僕が考えていたよりも深く深く根深いものなのだとわかった瞬間でした。
その当時飲み屋さんで働いていましたが、当時の携帯電話の番号を書いたのはそのお店のオーナーでした。携帯電話にはいたずらメールやいたずら電話が増え、半日もしないうちに携帯電話の電池がもたないほどでした。
僕はすぐに携帯電話を解約し、新しい携帯電話を購入しました。しかし、またその番号やアドレスは他の知り合いから掲示板に流れ、同じことが何度も繰り返されました。
二丁目が、ゲイが信じられなくなり、ゲイの女々しく暗く汚い部分を目にした瞬間でした。
(※本記事の内容は、当時は今から10年前、つまり2005年のときの話を題材にしています。)
画像出典:La hora del bully: Detrás de Sofía
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