Yさんのご自宅へ
実家にいることが耐えがたくなった僕はしばらくの間、Yさんのご自宅にお世話になることになりました。
Yさんが幼少期を過ごした家はとても大きく、とても広いご自宅でした。
Yさんのご両親、祖父はとても快く僕を向かい入れてくれました。
あの日のことが嘘のように。
Yさんの家族と過ごす時間
Yさんの家族はとても優しく、僕を迎え入れてくれました。
僕の知らないYさんの小さい頃の話等をとてもたくさんしてくれました。
Yさんの部屋は当時のままにしてらっしゃっており、今でもYさんがそこにいるのではないかと思う部屋でした。
あぁ、ここでYさんは育ったんだな。Yさんのすべてはここから始まったんだな。
僕はぼんやりとそんなことを考えていました。
Yさんの幼少期
Yさんはとても大人しく、なかなか怒らない人だったそうです。
本が小さいころから大好きで、本の虫と言っても過言ではなく、小さなころから小説家を目指しており、いつか曾祖父に追いつくんだといつも言っていたそうです。
また、Yさんは自分が同性愛者であることを小さいころから悩んでいたと伺いました。
とある日、お父さんに『僕は子孫を残すことは出来ない。』とカミングアウトをしたそうです。
そのころはとてもびっくりしたそうですが、Yさんの生き方を尊重しよう。
そう思ったご両親は、それを受け入れ生活をしていたつもりだと仰っておりました。
しかし、Yさんはご両親と実家が嫌いであり、息がつまる思いをしていたと当時僕には言っていました。
Yさんが亡くなったことにより、ご両親が何処かホッとしているように見受けられたのは、きっとそういうことなのでしょう。
自分に理解のできないものを理解しようとすることはとても難しいのだと思いました。
お葬式の準備
僕らはYさんのご家族とともに、Yさんのお葬式の準備を始めました。
生前Yさんはとても白い花、特に白い百合が好きでした。
『お葬式には白い百合をたくさん飾りたいよね。』
そんなことをぼそっと呟いていたことを思い出しました。
思えばあの時からYさんは自分の死期が分かっていて、自分を抑えられなくなっていたのではないかとぼんやりと考えていました。
Yさんが好きだった白百合をたくさん飾ることになり、着々とYさんとサヨナラをする準備ができてきました。
あぁ、もうすぐYさんとサヨナラなんだ。
こみあげてくる悲しさを止めることは出来ず、僕はボロボロと涙をこぼすことしか出来ませんでした。
もし、あの時、お店に行っていなければYさんは死ななかったかもしれない。
悔やんでも悔やみきれないことは、準備が進むたびに僕の心を締め付けるのでした。
つづく
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