アセクシュアルのカミングアウト
幸いにも筆者は、カミングアウトの必要に迫られたことは今まで一度もありません。カミングアウトしなければ生活や人間関係に支障が出るような場面に遭遇しなかったのです。
そんな私ですが、一度だけカミングアウトしたことがあります。相手は母親でした。理由はポジティブで、「大切な人だから無闇な心配をかけたくない。自分が恋人を作らないのは特別な理由があるわけでも、何かに困っているからでもない、ということを伝えておきたい」と思ったからでした。
母と私の関係は良好でしたし、LGBTに偏見を持っていないことは前からわかっていましたが、それでも伝えるのにはとても勇気がいりました。
- アセクシュアル、という人に恋愛感情が向かないセクシュアリティがあること
- 自分はそれに当てはまり、ずっと恋愛というものが理解できずにいたこと
- セクシュアリティは持って生まれたもので、病気などではないこと
以上の3つを順序立てて説明しました。
「改まって言うから何事かと思った」
こちらの話に黙って耳を傾けていた母がようやく口を開いたかと思うと、放った第一声はそれでした。「そんなに緊張してするような話だった?」と気楽な調子で言われ、正直に言えば拍子抜けしてしまいました。
続けて「深刻な様子だったから、何かのトラブルに巻き込まれたのかと思った。そうじゃなくて良かった」と言われて、ほっと安心したのを覚えています。
「そもそも私とあなたは全然違う人間だから」
「恋愛に関して私とあなたとでは随分感覚が違うことは小さな頃からわかっていたし、それをどうと思ったこともない。そもそも私とあなたは別の人間で、あらゆる面で異なっているのだから、そのうちのひとつがセクシュアリティだったところで大した差は無いと思う」というのが母の意見でした。
その言葉は筆者にとって大きな衝撃でした。20年以上家族として接してきた母親が、まるで別人のように見えました。母は世間的に見てもそう若くない年齢層に入ります。「若い人間ほど柔軟な思想を持っていて、年をとっているほど頭が固く、偏見を持っている」と当たり前のように信じていた筆者の、その考えこそが偏見だったのだと気付かされました。
「人生の先輩としてのアドバイス」
続けて母は、私にいくつかの「人生の先輩としてのアドバイス」を授けてくれました。ひとつめは「異性でも同性でも構わないけれど、困ったときに頼れるパートナーはいた方が良い」ということ。もうひとつは「セクシャリティといっても変わりゆくものだから、この先もしも惹かれる人が現れたら、その時は関わりを持ってみて欲しい」ということでした。
筆者が最も恐れていたのは「アセクシュアルなんて気のせいだよ」とか「まだ運命の人に出会えていないだけ」という言葉だったので、この反応にはホッとする以上に嬉しくなりました。
親しい人の新たな一面が見える
カミングアウトによって、筆者は自身の母が、思っていたよりもずっと柔軟で新しい価値観を持った人だったのだと気付かされました。もちろん、カミングアウトの仕方やタイミング、それに筆者のセクシュアリティによっては、母は異なる反応を見せたかもしれませんし、親しい相手だからといってカミングアウトすることが正しいわけでもありません。
しかし、筆者の場合は、自分が今まで隠していた面を相手に見せる以上に、相手の今まで知らなかった一面を知る、良い機会になりました。今回のような例がカミングアウトに対する反応の正解とは限りませんが、親子の関係をより良くするのに一役買ってくれたことは確かです。
今のところ母以外の相手へのカミングアウトは考えていませんが、この先親しい友人には告げる機会を持っても良いかもしれない、と思わせてくれる出来事になりました。