ローランド・エメリッヒ監督の新作映画「ストーンウォール」に関して、今まで2度記事を公開してきました。
■同性愛者たちが大激怒!新作映画”STONEWALL”に批判殺到(2015.08.20)
■日本公開が決まった映画「ストーンウォール」の問題点〜ゲイ監督はPRIDEパレードの起源”ストーンウォール”の反乱の史実をなぜ歪めたのか?(2016.09.06)
世界の当事者の中で史実として伝えられ続けていることを改ざんしているというこの作品の問題点は理解していましたが、それでも映画は実際に自分の目で見て確認しなければ、その是非は語れない、という思いがあったのです。見た結果、批判的なことを書く際のしがらみは持ちたくなかったので、試写には行かず、自腹で入場料を払って見ることにしました。(←しかも、2回も!)
自腹で2回、見てきました!
公開規模は決して大きいとは言えません。都内ではシネマカリテ新宿での単館公開です。
多数の映画館で全国一斉公開され続けてきた一連のビッグバジェットで(空虚な)大作映画専門のエメリッヒ監督作品にしては、あまりにも小さな公開規模。
そんなシネマカリテに、2016年末と年明けの平日の最終回で2回見に行きましたが、78席のスクリーンには10名前後の客数と、お世辞にもヒットとは言えない客入りでした。
それはともかく、きちんとスクリーンと対峙してエメリッヒによる「ストーンウォール」を鑑賞してみました。
一度めの鑑賞後に残ったのは
「おい、それはいくら何でも違うんじゃないか?」
という釈然としない思い。
そして年明けの二度めの鑑賞後には
「分かった! 釈然としないのは、根本的な欠陥があるからだ!」
と釈然としなかった理由が判明しました。
では、僕なりに感じた映画「ストーンウォール」の根本的な欠陥を記していきます。
※この後、かなり大胆に「ネタバレ」します。映画「ストーンウォール」を予備知識無しに楽しみたい方は、映画をご覧になった後に読まれることをお勧めします。
当事者の間で伝えられてきたストーンウォールの史実とは?
過去記事でもご紹介しているように、エメリッヒはストーンウォールの叛乱を映画化するにあたり、当事者の間で広く伝えられ続けてきたことを大きく変更して描きました。
詳細はリンク先の記事をご参照いただくとして、まずは「ストーンウォールの反乱」が起きた背景を整理しましょう。
・セクシュアル・マイノリティの人権が認められていなかった1960年代のアメリカ
・同性間性交渉を禁止する法律(ソドミー法)が、イリノイ州以外の全州で維持されていた
・同性愛者に酒を提供することが違法とされ、度々警察が立ち入り検査をしていた
・3人以上の同性愛者グループに酒を提供すると恣意的に酒類販売免許を取り上げられていた
・そのため多くのゲイバーは無免許営業の非合法なものとなっていた
・穏健派の活動団体マタシン協会の働きかけに耳を傾けた共和党リベラル派のジョン・リンゼイ市長の方針で、セクシュアル・マイノリティの人権に対し風向きが変わっていった
・恣意的な酒類販売免許の取り上げはなされないようになっていった
・しかし、「ストーンウォール・イン」は酒類販売免許を持っていない店だった
・免許のない店の多くはマフィア(ガンビーノ・ファミリー)と関係があった
・非合法経営の「ストーンウォール・イン」には未成年者の出入りもあり問題視されていた
・そのため「ストーンウォール・イン」には警察の立ち入り検査が度々行われていた
・立ち入り検査で警察に拘束されるのは、酒を提供した側の従業員と、異性装の者、IDを持たない者だった
ストーンウォールの反乱前後のセクシュアル・マイノリティ人権運動の流れも、映画に関わってくるのでまとめましょう。
<ストーンウォール以前>
穏健派のマタシン協会が「ホモファイル運動」を推進。
『同性愛者と異性愛者は本質的に異ならない存在で、同性愛者差別は偏見にすぎない』という同化主義的な考え。
共和党リベラル派のジョン・リンゼイ市長の考えもあり、ゲイバーの不当な酒類販売免許の取り上げや、警察官の囮捜査がなくなるなど、一定の成果を上げていた。<ストーンウォール直後>
急進派のゲイ解放戦線が誕生。
黒人解放運動団体ブラックパンサー党への資金提供を行うが、その一連の行動に反発するメンバーが脱退してゲイ活動家同盟を結成する。ゲイ解放戦線は、1970年6月の最初のプライド・パレード以降消滅する。
当事者の間で伝えられている史実(伝説)をまとめてみます。
・騒動のきっかけとなったのは、シルビア・リベラさん(トルコ系トランスジェンダー)と親友のマーシャ・P・ジョンソンさん(黒人のドラァグ・クイーン)と言われている。
・パトカーに乗せられようとしたレズビアン(外見は男性的なブッチ・タイプ)が暴れて、それを機に店の前にいた群衆が蜂起したという説もある。
・それ以前もしょっちゅう警察の立ち入り検査が行われ、酒を販売した店のスタッフや異性装の者が逮捕されていたのに、この日に限って暴動が起きたのはジュディ・ガーランドが関係している。
・当時、ゲイ・アイコンと言われ愛されていたジュディ・ガーランドが1969年6月22日にロンドンで睡眠薬の過剰摂取により急死。娘のライザ・ミネリはニューヨークで葬儀を行うことを決め、遺体がニューヨークに搬送され、6月27日に葬儀が行われた。
・その葬儀後、クリストファー・ストリートに集うセクシュアル・マイノリティの間には狂気とも感じられる哀しみが充満しており、その哀しみが警察への抵抗に向かったとも言われている。
映画「ストーンウォール」が改ざんしたこと
「ストーンウォールの反乱」に関して伝えられていることを、この映画「ストーンウォール」は大きく改ざんしてきました。
変更点をまとめましょう。
・主役に、架空の白人青年ダニーを据える。
・反乱の口火を切る役回りを、伝えられている人物(シルビア・リベラ、マーシャ・P・ジョンソン)ではなく、架空の白人青年ダニーとゲイの男娼(ストリートチルドレン)たちにする。
・シルビア・リベラは登場しない。マーシャ・P・ジョンソンは登場するものの、反乱が起きる直前に現場から別の場所へ移動し、暴動が起きてからしばらくしてストーンウォールに戻ってきて参加する。
この変更が大きな怒りを呼び映画「ストーンウォール」は全米でセクシュアル・マイノリティ当事者からボイコットされ、ヒットメーカーであるエメリッヒ監督作品とは思えない不入りで終わりました。
また日本でも東京では単館公開という小さな規模での公開となり、ほとんど話題になりませんでした。
この作品の監督でありプロデューサーのローランド・エメリッヒは、ドイツ出身。
1992年「ユニバーサル・ソルジャー」の監督に抜擢されハリウッドに進出。以後、「スターゲイト」「インディペンデンス・デイ」「GODZILLA」「デイ・アフター・トゥモロー」「2012」とビッグバジェットの超大作映画の監督としてその名を轟かせていきました。
オープンリーのゲイであるエメリッヒは、LAのゲイ&レズビアン・センターを訪れ、ホームレスの40%がセクシュアル・マイノリティの若者であるという事実に衝撃を受けます。その後、ホームレスのセクシュアル・マイノリティの若者(ストリート・キッズ)への援助に力を入れるようになります。
ドイツ出身のためか、エメリッヒ自身も「ストーンウォールの反乱」に関して知識はなかったようで、文献をあたり、ストリート・キッズたちが反乱の中心となっていた、という部分に興味を持ち映画化を考えたそうです。
この流れに非難されるべきものはなく、エメリッヒの当事者ならではの真っ直ぐな思いすら感じられ、良い映画ができそうなのですが………..。
ストーンウォールの反乱の状況を俯瞰的に見て記録されたものは、当然ながら何も残っていません。騒乱の渦中にいた人たちの証言も、自分に見えている部分しか語れないので、様々に食い違うのもまた仕方がないことです。
もしかすると、当事者の間で語り継がれている、暴動の口火を切ったのはラテン系トランスジェンダーのシルビア・リベラさんや、黒人ドラァグ・クイーンのマーシャ・P・ジョンソンさん、というのは事実ではなかったかもしれません。
また、のちになって明かされた警察側の証言からは、当時「ストーンウォール・イン」を経営していたマフィアに対する捜査という側面も見えてきます。
エメリッヒはそこにも興味を持ち、この作品の物語にはその部分のウェートも大きく割かれています。
そういう意味でも、史実を客観的に見る視点が欠如しているとは思えません。
しかし、それでもなお、この映画「ストーンウォール」は見逃せない問題点をはらんでいるのです。
ダニーの物語としては前半部分はそう悪くもない
まず、この映画の主人公であるダニーの物語をみていきましょう。
1960年代後半、ベトナム戦争真っ最中のアメリカの田舎(ニュージャージ州あたり?)で高校生活を送るダニー。
厳格な父は高校のアメフト部の監督で、ダニーもアメフト部に所属している。
残念ながらトップクラスの選手ではない。
ダニーの秘密は、同じアメフト部のエース選手ジョーとエッチな行為にふけっていること。
ダニーはジョーに恋慕の情があるが、ジョーはやらせてくれない彼女の代わりととらえている模様。そんな2人の関係を、厳しい父は怪しんでいる様子。
ある日、ジョーの車の中でエッチしている現場を友人に発見され大問題となる。
ジョーはダニーに無理やり酒を勧められ判断能力をなくしていたと言い逃れ、ダニーだけが悪者にされる。
アメフト部の監督であるダニーの父は、コンバージョン・セラピー(同性愛矯正治療:電気ショックなどで同性愛を矯正しようというもの。詳しくはこちら)を受けるよう迫るが、ダニーは反発して家出をしてニョーヨークに向かう。
ここまでのダニーの物語は、当時のアメリカでの同性愛差別、偏見の実態を描いており、非常に興味深いものになっています。また、都会と違って逃げ場のない田舎で、セクシュアリティを理由に非難される主人公の状況に共感できる人も少なくないでしょう。
だからこそダニーを「ストーンウォールの反乱」の中心人物に据えたりせず、彼の物語として構築していけば、それはそれで面白い作品になったのではないかと思われて非常に残念です。
ダニーの物語を続けます。
追われるように地元を逃げてきたダニーが向かったのは大都会ニューヨーク。
高校卒業目前のダニーはニューヨークのコロンビア大学に進学することが決まっていたから。
とはいえ、家出してきた身のダニーは行く宛もなく、たどり着いたのがクリストファー・ストリート。
かつてアーティストや文学者が集う街に同性愛者が集まりコミュニティを形成していた。
家出したきたダニーに声をかけてきたのが街娼(ストリートキッズ)のレイ。
レイの仲介で仲間のストリートキッズたちに馴染んでいくダニー。
家出してきたダニーにとっての問題はコロンビア大学の奨学金を受けるための書類が手元にないこと。実家に電話をして書類を送ってくれと頼んでも、厳格な父に拒絶される。
架空の人物であるダニーを主役に据えた映画「ストーンウォール」は、彼をストーンウォールの反乱の口火を切る役回りにするために物語を構築していかねばなりません。
そのため、ここから先は明らかな無理が生じてきます。
エメリッヒ監督は
「ストリート・キッズたちが反乱の中心となっていた」
という部分に興味を持ったと言っています。
住む家もなく、体を売るしか生きて行く術のないストリートキッズたち。
当然、警察に取り締まられることも多々あったでしょう。彼らが抱えた絶望と不満がピークに達した時に、なんらかのきっかけで暴動という形に繋がった、というのは説得力を持つでしょう。
しかし、ダニーはストリート・キッズではありません。
無理が軋み始めるストーリー展開
9月からはコロンビア大学に入学が決まっているダニー。
奨学金のための書類を父が送ってくれない、という問題を抱えているものの、夜学に通って高校卒業資格を取れば奨学金が支給される、という代案を大学から提示されています。
つまり、アルバイトしながら真面目に夜学に通えば、ダニーには輝ける未来が待っているのです。
確かに、地元ではゲイであることにより酷い目に遭ったのは事実です。
しかし、大都会に出てきたダニーの将来には、今までとは違う可能性が広がっているはずです。
客から暴力を受けても、生きていくために体を売るしか術がないホームレスのストリート・キッズとしばらく仲良く過ごしたからといって、その置かれている境遇は天と地ほどの差があるのです。
ダニーが恵まれているのは境遇だけではありません、彼にはルックスという武器があるのです。
田舎では同性愛者として蔑まれたかもしれませんが、クリストファー・ストリートに立ったダニーはかなりの勝ち組。
白人で素朴な雰囲気の初々しいハンサム、しかも高校ではアメフト部のバリバリのJocks(体育会系)でマッチョなのですから。
何くれとなく面倒を見てくれるレイを始め、様々な男たちがダニーに好意の視線を投げかけてきます。
ダニーが売春の真似事をする時でも、市場価格は他のストリートキッズより高額が提示されます。
自分の価値に気づいたダニーは、自分に向けられる好意の視線にどんどん敏感になっていきます。
そして財力のある穏健派の活動家トレバーに見初められ、ストーンウォール・インの向かいにある彼のアパートで寝泊まりすることになります。
安心して寝る場所ができ、近所の雑貨屋でのバイトも決まり、高卒の資格を取るために夜学に通う日々。
これでは物語は「めでたしめでたし」で終わってしまいます。
そこで物語は、無理やりにダニーの心に怒りを蓄積させていくのです。
①街娼と客が溜まる場所に手入れに来た警察官に暴行される。
警官が来た瞬間に蜘蛛の子を散らすように逃げていく人を前に、ダニーは僕を捕まえてと言わんばかりに立ちすくみます。一人残されたダニーは、当然のごとく警官から暴行を受けます。
②ストーンウォール・インに警察の立ち入りがあり、スタッフと異性装の友人が捕まる現場を見る。
白人男性のダニーはおとがめなし(実際に、客の白人男性が警察に連行されることはなかった)、ただ見ているだけ。
③憧れのNASAに就職できない現実を知る
穏健派の活動家の集会で元宇宙飛行士候補だったゲイから「同性愛者は政府機関では働けない」という当時の現実を教えられる。
暴行された①はともかく(逃げなかったダニー君が悪いのだが)、②や③では暴動を起こすほどの怒りが蓄積するとは到底思えません(さすがに説得力が足りないと思ったのか、③の場面では「なんだか怒りが湧いてきた」とわざわざダニー君に言わせています)。
ストーンウォールの反乱の口火を切るほどの怒りをダニーに抱かせるためには、これでは足りないと判断したのでしょう。
最終的にダニーの怒りが爆発するきっかけは驚愕ものです。
④トレバーがストーンウォール・インで他の若い子を口説いている現場を見てしまう。
つまり、彼氏が浮気した現場を見てしまい、ダニーがブチ切れる。荷物をまとめて街を出て行こうとするも、その後トラブルに巻き込まれストーンウォール・インに戻る。そこに警察の立ち入りがあり、ストリート・キッズたちが店の前を囲む状態に。そしてレンガを握りしめたダニーにトレバーが「バカなことは止めろ」と叫ぶも逆効果、トレバーの言葉に逆上したダニーはレンガをストーンウォール・インの二階の窓に投げつける。これをきっかけにストーンウォールの反乱が始まる。
この映画の根本的な欠陥はここなのです。
本来、「ストーンウォールの反乱」で描かれるべき主題は、抑圧されたセクシュアル・マイノリティの怒りが暴発する瞬間、だったはずです。
しかし、クリストファー・ストリートの住人で抑圧され続けてきたわけではなく、境遇的にも恵まれ、かつ持てるルックスでちやほやされている白人青年が彼氏の浮気を理由に怒りを爆発させるのでは、主題が完全にぼやけてしまいます。
ジュディ・ガーランドの死で狂気のような悲しみに満ちた街とか全く関係なくなり、ルックスが良い田舎出身の若者がちやほやされて勘違いして増長してしまい、プライド傷つけられたと逆上して暴れまくる物語にすり替わってしまうのです。
しかも火付け役のダニーは、その責任を全く負おうとはしません。
一晩中、暴れるだけ暴れまくったダニーとレイたちストリート・キッズの前に、トレバーが口説いていた若い子が穏健派の集会のビラを配りにやってくる(一晩トレバーと過ごし、彼が印刷したビラ配りを手伝っている)。
その子を凄い形相で睨みつけたダニーは、レイに対し「君とは住む世界が違いすぎるんだ」と言い捨てて去ろうする(警察との争いはその後3日も続いたというのに…..)。
そんな薄情なダニーに対して、レイは「あんたとアタシは姉と弟のようなものよ」と優しく伝える。
本当にルックスがいいと得ですよね〜。
どんな薄情なことをしても許してもらえるし、トラブルに巻き込まれたら助けてもらえる(暴動直前にダニーが巻き込まれたトラブルからレイが救い出してくれた)。
しかも、彼氏の浮気でブチ切れて周囲の人間を巻き込んで警察相手に大暴れ、翌朝になって「さすがにヤベぇ」と冷静になって逃げようとするも、また優しく許してもらえる。
もはや何の映画なのか分からなくなってますが、ひとまず「ストーンウォールの反乱」は横に置いて、この物語をダニーの青春映画として評価できないか考えてみました。
すると、さらなる欠陥が見えてきてしまうのです。
成長を阻害された主人公に感情移入するのは無理
若者が様々な経験をし、人と交わり、壁にぶつかって、成長していく様を描けてこそ、青春映画は素晴らしいものになりうると思います。
では、映画「ストーンウォール」はどうでしょうか?
ストーンウォールの反乱から約一年後、コロンビア大生となったダニーは地元に帰り、ジョーの家を訪ねる。
同性愛者であることで迫害されて街を飛び出し、ニューヨークで様々な経験をしたのちに一年間の大学生活を経たダニーは、心なしか大人になったように見える。
高校時代の彼女と結婚したジョー、奥さんは出産間近。
つまりジョーには、一生この地元で暮らしていく未来しかないということ。
そんなジョーの前に現れたダニーは、感極まって「本当に君を愛していた」と泣き始める。
……………………..あの、この場面で本当に絶句しました。
アイビー・リーグのコロンビア大学に通っていれば、ゲイかノンケかは関わらず、ジョーなんかよりはるかにイイ男は周囲にたくさんいるはずです。
そして、ゲイが少なくないニューヨークにいるのですから、一年の間に彼氏ができていたっておかしくない。
ゲイを理由にNASAでは働けないかもしれない(カミングアウトしなければいいのでは?とも思いますが)けれど、コロンビア大を卒業するダニーの前には大きな希望が拓けてくるはずです。
一回り成長したダニーから見れば、田舎で起きた嫌な記憶もすでに過去のもの。
ジョーの裏切りも許せるようになり、再会して笑顔でハグする。
という流れならばまだしも、なぜに自分を売って罪を逃れようとした、そして保守的な田舎で一生過ごす以外に未来のない男の前に行き、グチュグチュ泣きながら愛の告白をするのでしょうか。
心なしか大人になったように見えたのもつかの間、あまりにも情けない腐ったゲイにしか見えなくなります。
本当にみっともない!
しかし、それもむべなるかな。
この物語では、ダニーは成長できない構造になっていることがラストに提示されます。
舞台は、ストーンウォールから一年後に開催された初のプライドパレード。
パレードに参加するためにクリストファー・ストリートに来たダニーの前にはレイたちストリート・キッズの面々が現れる。
ストリート・キッズの面々は「もっと頻繁に遊びに来なよ」とダニーを歓迎する。
同じマンハッタンにあるコロンビア大学に通うダニーは、ストーンウォールの反乱から逃げ出して以降、クリストファー・ストリートには滅多に顔を出していないという驚愕の事実が明らかになりました。
コロンビア大学とクリストファーストリートの距離はわずかに6.1マイル(約10kg)、東京に置き換えるなら三田の慶応義塾大学と新宿2丁目程度しか離れていないのです。
今やコロンビア大生となったダニーは、一年前の行く宛のない家出少年ではありません。
前途には洋々たる未来が広がっています。
片や、ストーンウォールの反乱を経ても、ストリート・キッズたちは相変わらずホームレスのコールボーイであることに変わりはありません。
にも関わらず、ストリート・キッズたちはダニー君を仲間として出迎え、肩組みながらパレードをしていきます。
周りのみんなが、いつでもチヤホヤ、ヨシヨシしてくれるのですから、ダニーは成長できるはずがありません。
若さの特権を失うまでこのまま増長していき、いつしか年下の可愛い子たちにその座を奪われ、プライドだけが無駄に高く嫉妬深いゲイになっていく様しか想像できません。
一年前にストーンウォール・インで口説いた若い子と共にパレードを歩くトレバーに、
「お前、結構男を見る目あったんだな」
と語りかけたくなるほどに、主役のダニーには一切感情移入のできない映画でした。
とはいえ、当時のセクシュアル・マイノリティが置かれていた状況や、ストーンウォールの反乱の様子は伝わってくる映画ではあります。
また、ダニーを取り巻く状況を見ていると、ゲイの世界におけるルッキズム(外見至上主義)の強烈さも実感できるので、すべてを否定する必要もないかとは思います。
映画「ストーンウォール」にご興味を持たれた方は、ダニーは架空の存在であり、暴動のきっかけはもっと違う所にあったのだと認識した上で、ぜひご覧になってください。
■映画「ストーンウォール」公式サイト
※東京、大阪では上映終了。仙台、名古屋で上映中。今後、沖縄、京都、盛岡で上映予定あり。