ゲイの聖地、カストロ地区
サンフランシスコに訪問した合間に、ゲイの聖地と言われるカストロ地区を訪ねてきました。ゲイコミュニティが30年前から作られ、今では多くのLGBT当事者が住んでいると言われています。なんと、多くの人が移住してきたためにサンフランシスコでも最も地価が高い地域だとか。
カストロ地区の概観
そんなカストロ地区を10年間ガイドをしているKathyに案内してもらってきました。Kathy自身も、もともとはイタリア出身。旅行会社で仕事をしていてNYで働いた後ハワイへ。37歳の時に、自分自身が女性の方が好きということを自認するよ うになり、真の自分を隠しながら生きることはできないからということで、サンフランシスコに移住してきたのだとか。その勇気ある決断に感嘆。その後、10年間、カストロ地区でガイドをしているのだそう。ものすごくチャーミングな方でした。
さてさて、カストロ地区といえば街の至る所にレインボーフラッグがあることで有名です。後編でも書きますが、ハーヴェイ・ミルクというLGBTのレジェンドが街頭演説をした通りの一角には街中から見つけられるシンボリックなレインボーフラッグが建てられています。
Kathyが旗にまつわる面白い話を教えてくれました。もともとゲイカラーは、ピンクの逆三角形だったそう。ドイツでユダヤ人が迫害された時に、ユダヤのマークである星から一つ三角をとって、フェミニンな色のピンク色にすることでゲイの目印にしたのだとか。シンボルフラッグの反対側の通りにある場所には、その歴史を忘れないためにピンク色の石が敷かれた公園が記念碑とともに作られています。
そこからなぜレインボーに?
実は、ハーヴェイ・ミルクが区長として選出された際に、反同性愛運動が激しく、通りを凱旋することができなかったと言うことがありました。そこで、ミルクの友人が100本以上のレインボーフラッグを街灯に掲げ、ここはゲイが通れる場所だとしたことがきっかけなんだとか。それから、レインボーがゲイカラーとして全世界に広まっていきました。今では、当たり前のようにレインボーが使われているけど、そんな歴史があったんですね。
横断歩道までレインボーでした。
もう一つ、旗にまつわる面白い話。実は、LGBTQのコミュニティの中にもいろいろな人がいるように、それぞれのコミュニティによっていろいろな旗があるんです。
そういったいろんな旗が全部一堂に会しているのが、この人のお家。結構激しい人形が飾ってあります。
また、街の至る所にゲイ専門店がありました。このお店の看板はユーモアたっぷり。
こんなにコミュニティがしっかりしているカストロ地区ですが、一方でティーンがほとんど生活していないという現実も。LGBTのティーンは、自殺率がストレートの倍くらい高く、アメリカでは深刻な社会問題として捕らえられています。そこで、カストロ地区ではティーン用のコミュニティハウスを設置したり、ロールモデルとなる人がいないという問題を打開するために、歴史上の人物でLGBTであった人の記念碑を街の至る所に設置したりしています。
日本人からは、三島由紀夫の名前がありました。日本には奥さんも子供もいたそうですが、アメリカではオープンゲイとして生活していてたのかもしれません。
カストロ地区の歴史
そもそもミルクがやって来る前からゲイが多かったサンフランシスコ。その歴史は、第二次世界大戦まで遡ります。この辺りは、海軍の軍港があるなど軍としても重要な土地でしたが、第二次世界大戦中にアメリカ軍は男性同性愛者をサンフランシスコに放免するようになります。その数数千人。その後、伝統的な家庭での仕事を望まないレズビアンの女性が、軍事産業に携わるためにこの地区に移り住みます。
そして、1960年代に行われたSummer of Loveというフェスティバルで全米からゲイがサンフランシスコに集まってくるようになりました。ちょうどその時に移住してきたのが、今ではLGBTのレジェンドになっている、ハーヴェイミルクです。
彼は、40歳の時に彗星の如くサンフランシスコに当時のボーイフレンドと一緒にやってきます。その理由は、なんとSummer of Loveというゲイフェスティバルに参加するため。この愛と自由にあふれたフェスティバルは2年も続いていたのだとか。このフェスティバルに参加した後、
今まで40年間何も社会の役に立つことをやってこなかったと思い立ったミルクは、当時非合法とされていたゲイの人権を守るため、立ち上がります。
その後、その思いに共感した人たちが大量にサンフランシスコに移住。一種のコミュニティが築かれていきます。
そして、ついに区長に選出された話は、前編でも書いた通りです。当時のサンフランシスコ市長と、サンフランシスコではゲイであるというだけで解雇されないことや、多くの人権を守るという協定が結ばれました。この話の裏には、当時の市長の息子さんがゲイで彼自身も息子を守りたかったという思いもあったのだとか。残念ながら、ミルクと当時の市長は同僚の糾弾によって殺害されてしまいますが、その意志は今でもカストロ地区に住む人たちの誇りとなって存在しているように感じました。
ミルクにまつわる場所は、カストロ地区に幾つか存在します。ここは、ミルクが移住した時にオープンしたカストロカメラ。今では、ミルクの記念碑が店の前に掲げられ、店内は、イコールライツを求めるグッズショップになっています。
お土産にこんな旗と購入。また、先述のシンボリックなレインボーフラッグの下にはハーヴェイミルクプラザが。といっても、幾つかの写真とともに歴史が紹介してある程度ですが。
また、ここはカストロ地区最古のゲイバー。当時、全米でゲイバーは中が見えないように壁が覆われていたにもかかわらず、サンフランシスコで自由になった際に、二人のレズビアンがこのバーを買い取り、ガラス張りにしました。当時は画期的だったそう。
GLBT博物館も。また、ミルクが創設した図書館も地区に存在します。
あとは、この辺は人口よりも動物の数が多いと言割れているらしいのですが、街に唯一ある
小学校の寄付は本来の発表会ではなく、ドラッグショーによって集められるとのこと。
Written by: Asako