「私みたいな人間は、この世には一人もいないと思っていました。」
ヘクター・ブラック(Hector Black)さんは現在90歳。彼は夫として、父親として、そしてクローゼットのゲイとして生きてきた人生を、米国ラジオNational Pulic Radioで振り返っている。
「ゲイ」という言葉を口にするのもはばかられる時代
彼は、まず自分がどのような感情を抱きながら成長していったかについて語った。当時は、自分が男性に惹かれるということだけはわかっていたが、それを表す言葉があることさえ知らなかったという。
「ゲイという言葉は一度も口にされませんでした。同性愛という言葉さえも。とにかく、その言葉を使うときは小声でささやくしかありませんでした。」
第二次世界大戦当時、兵士であったブラックさんはそう話す。若い頃は、この世界に「自分のような人間」は世界のどこにもいないのだろうと思っていたという。
同性愛は「治す」べきものだと思っていた
1940年代当時、男性に惹かれていることに気づいていた彼は、その時代ほかの人が考えていたのと同じように、同性愛を「治す」ための治療を受けることは正しいことだと思っていた。
「当時、そのような治療は正しいものだと考えられていました。エストロゲンを摂取するのです。」
彼もその治療を受け、周りからは「もう大丈夫だ」と言われ、彼自身もそう思っていた。しかし、彼が同性に惹かれているという事実は全く変わらなかったという。
カミングアウトに至るまで
それから70年の月日が過ぎた。彼は何十年にも渡ってゲイであることを心の中に隠し、苦しんできたが、最近になってついに彼は自分がゲイであるとカミングアウトをした。
カミングアウトのその時まで、彼は家族を養い、スージーという妻と40年間連れ添っていた。スージーさんは、彼がほかの男性と関係を持っていることを知っていた。彼は以前、スージーさんに離婚を申し込んだが、彼女は彼を愛していたためにそれを拒んだという。
ブラックさんがカミングアウトをしようと決心したのは、彼らの娘の一人からレズビアンであるというカミングアウトされてからだった。
「私たちはこれまでと同じように、娘のことを愛しています。私は彼女がどれだけのことを乗り越え、自分らしくあることに苦しんであるかを知ったので、むしろこれまで以上に愛情を感じています。」
ブラックさんはそう話す。彼はその時、自分が自分を憎んでいる状態でどうやって娘のことを愛すことができようか、と感じたという。そして初めて、娘と同じようにカミングアウトをする勇気を得て、自らの二重生活に終止符を打つことに決めた。
90年の人生を振り返って
彼は、カミングアウトをするまでに相当な時間がかかった。長い間クローゼットだったことを後悔しているかどうか、そして彼が直面していた苦しみについて問われると、彼は、以下のように答えた。
「人と違うことが何を意味するかを理解するときに、自分がゲイであるということはとても役に立った。そういう素晴らしいこともある。
私は自分が何度も何度も悲しんだことで、人を愛せるようになった。だから心から良かったと思っている。」