一言申し上げます
私がLGBTと関わる機会が多いがゆえに他のストレート(同性に心惹かれる気がないことからノンケとも)から言われて「これは違うな~」と思ったことを挙げてしまおうと思います。今回はノンケ女子とゲイ友のお話。Google画像検索するだけでほいほい出てきます。
①「私、ゲイの友達いるからそういうの分かるわよ!」
分かる。得意げに言う方、いますよね。というか、そういうのってどういうのなのよもう。そのゲイの友達が果たしてLGBTと言われる多くの人たちと同じで、1人のことを知っているから他も知っている、だから分かるのでしょうか?
LGBTという一括りにした言葉のせいで、人はみんな違ってみんないいのだということが消えていませんか?
分かるのなら、何が平等な社会を目指すことの妨げになっているのか一緒に考えませんか?うーん、なんだか、私には彼女の言っていることが分かりませんでした。
②「私ゲイの友達が欲しいの!」
Sex And The Cityを見てゲイの友達と買い物に行って自分の服を一緒に選ぶことに憧れている女。昨年G.B.F ‐Gay Best Friend‐ という映画がアメリカで公開されましたね。
アメリカの高校を牛耳るスタイル抜群の女の子たち3人が、地味なゲイの男の子をアプリを使って見つけ出し、“ティーンエイジャーの最高のアクセサリー”として自分たちが思うゲイに仕立て上げ、一緒に行動させる。身振りと言葉遣いが女性っぽくて、おしゃれで、美容の知識が豊富で、一緒にいると自慢できるゲイ友。
あらららららららら?彼に無理させてない?それは彼の本当の姿?
もともとゲイだと知っていて友達になった場合でも、後からカミングアウトを聞いてゲイだと知った場合でも、友達は友達だと思うのです。飾りではなく。セクシュアリティはその人が持つ個性の中の一つであり、その人の全てではありません。
A君がゲイだからお友達になるのでしょうか?A君がゲイじゃなかったらお友達にならないのでしょうか?逆に、ゲイやレズビアンから「ストレートの友達が欲しかったの。あなたってフツーだから」と言われたら良い気はしませんよね。自分のエゴのためにセクシュアリティという側面だけを切り取って友好関係を築こうとすることは賢明ではないと私は思います。
③「私、二丁目に行ってマツコ・デラックスみたいな人に会いたいの!連れてって!」
先に申し上げますが、連れて行きたくありません。ごめんなさい。この方も固定観念に踊らされていますよね。
マツコ・デラックスさんのように、言われたらぐうの音も出ないような最もなコメントを歯切れよくおっしゃる方が世の中にどれだけいるのかは分かりませんが、二丁目にたくさんいるとは思わないほうがいいと思います。
人間は人それぞれです。ゲイの中には、テレビに出てくるようなマツコ・デラックスさんのように女性っぽい口調でバサッと相手を斬るような方もいれば、恋愛に悩む可愛いキャラの方もいますし、マスキュリンな方もいます。そして、セクシュアリティに悩んでいてどことなく不安そうな方もいますし、いわゆるオネェ口調なんて全く使わない方もいます。
LGBTという、日常生活で時に隠してしまうもしくは隠さざるを得ない状況に直面することがあるアイデンティティを、他人の目を気にせずに遊べる場所が新宿二丁目という町だと思います。そこで、メディアでウケる固定観念を求めるのは正しいのでしょうか?
もちろん、二丁目に行くなという意味ではありません。行ったとしてもそこにいる全員に“面白いゲイ像”を求めることは、私は間違っていると思うということです。
画像出典:G.B.F- Wikipedia