愛する人の死
少しの温かみもなく、合板らしき棺だけがやけにぼんやりと浮かんで見えるコンクリートに囲まれた部屋。息苦しさから病床ではいつも険しかった顔が、全ての苦しみから解放されとても穏やかでした。小さな窓からその表情を見た瞬間、本当に別れる事になる辛さを思い知らされ、私は眼球が壊れるほど涙を流しました。
入院して半月で旅立った人。それは最期まで自身のセクシュアリティを親に悟られないようにしようと思った人、そして私が2年半ほど付き合った彼でした。
再会
私は3ヶ月前に喧嘩をして、それから連絡を取らなくなった彼の事を考えていました。もう今では何が理由で傷つけ合い離れてしまったのかも思い出せませんが、心の中で自分や彼を責めたり、もうこのまま終わってしまうかもしれないと考えたり、そんな事が頭を埋め尽くしていました。
1月末の午後、謝る機会を逸して自然消滅というものが頭をよぎっていた私の元に、この上なく辛い事になるメールが届きました。
「入院する事になった。他に頼る人もいないから着替えとか持ってきて欲しい」
字面だけではその深刻さは全く伝わらず、これは仲直りする絶好の機会だと考えてしまいました。彼の合鍵を持っていなかったので、それを預かる事と様子を見る事を兼ねて教えてもらった病院に行く事にしたのですが、そこで私は彼の苦しみにやっと気付きます。
病室に入る時はマスクと手指消毒も必ずするようにと面会名簿のあるナースステーションで看護師に言われたので、その時に何となく嫌な予感がしたのですが、相部屋の奥にいた彼を見て…言葉を失いました。
どうして…?
体格の良かった彼が….痩せ細った姿と針のような脚。息苦しそうに鼻カニューレを付けている顔の色もすこぶる悪く、かけ布団の中から管が伸び、それはベッド横に付けられた採尿バッグへと繋がっていました。
他の入院している人達に悟られないようにカーテンを閉め、二人して声を上げないように堪えながら泣き続けました。涙がこみ上げるたびに、これからはずっと彼を支えていこうと誓いました。こんな悲しい仲直りのきっかけもあるのかと思っている私に、彼は会わなくなってからの自分の体調について話を始めました。
数ヶ月前から体調が悪くなったものの病院へ行かずに、少し前からは徒歩数分の最寄り駅まで歩く事さえもままならなくなったそうです。そして昨日ついに動けなくなりタクシーで病院へ来て、診断の結果、エイズを発症していると告げられたと、息苦しさを忘れるかのように彼は独りで抱えていた苦しみを吐き出しました。
ゆっくり話して構わないからと伝えると、彼は数度咳き込んだ後に呼吸を整え、少し間を置いてから私にも関わってくる話を始めました。エイズを発症しているため、性交渉があった人がいる場合は感染している可能性が出てくると医師に言われ、そこで男性と付き合っていると伝えたそうです。
「HIVをうつしているかもしれなから、検査に行って欲しい。もし、うつしていたら…」
段々と落ち着きつつあったのですが、話の途中でまた泣き始めてしまいました…彼は自分がHIVになり、体調の悪化からエイズを発症した事に気付いていたかもしれませんが、病名を聞かされ、現実を突きつけられるのが怖かったのでしょう。
もし私も感染していたらどうなるのか、自分の生活や将来などへの不安が一瞬よぎりましたが、目の前でベッドから歩く事もできない彼を支える事こそが、今の私が何よりも先にすべき事だとすぐに思いました。これからはそばにいて看病にも毎日来るから安心してと伝えて部屋の鍵を預かり、彼が少し眠る間に着替えを持ってくる事にしました。
彼を…彼を助けるんだ。
往復の電車の中の光景はいつもと違い、立っている人や眠っている人、他愛のない話で盛り上がるグループなど、全ての人が健やかで幸せそうに見えました。HIVであるかそうでないか、それだけで大きな隔たりがあるかのように感じたのです。
私も感染しているのかもしれないけれど、今は不安にかられている場合ではない。彼を助けるんだ。決意は緊張となって身体を走り、寝巻きや下着を入れた紙袋を持つ手がこわばっていくのがわかりました。
彼と私、二人で一緒に過ごす…最後の冬が始まりました。
つづく
画像出展:Should everybody get paid bereavement leave?
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