HIVに感染して、3ヶ月から半年間
私が書いた前回の記事「まさか俺が。HIVに感染したゲイがたどる最初の3ヶ月」にてたくさんの反響を頂きました。今回は、この続編となりますが、HIV感染者に立ちはだかる書類などの問題や、人間関係などについて触れます。
障害者手帳を取得。自立支援医療が開始
確か障害者手帳を申請してから3ヶ月後に障害者手帳を手に入れました。この障害者手帳を通じて、自立支援医療や、マル障(心身障害者医療費助成制度の通称)など色々な医療制度を利用できるのですが、これらの仕組みを理解するのは非常に難しいです。感染が判明して1年以上経った今ですら、私はよくこれらの制度について理解していません。しかも、感染した直後は頭の中が非常に混乱しているので、感染直後の人にはまず理解できないと言ってもいいと思います。
そこで助けてくれるのが”ソーシャルワーカー”です。大きな病院には、どのような医療制度をどのように用いるのが最適かをわかりやすく説明してくれ、相談にのってくれるソーシャルワーカーの人がいます。担当医にも医療制度についてはソーシャルワーカーに相談しなさいと言われると思いますが、言う通り絶対にソーシャルワーカーに相談した方がいいです。制度の中身がよく理解できなくても、何をするべきかや、何を準備するべきかだけでもわかっていれば、あとは病院関係者や役所の人たちが勝手になんとかやってくれます(本当は自分で理解してやるべきなのは間違いありませんが)。このあたりは、とにかくプロの人たちに徹底して頼りましょう。HIVにかかることがどれだけ精神的に辛いものであることなのかをみんな知っているのか、うまく自分の考えがまとまらなくても、ゆっくり話を聞いてくれる、とても優しい人ばかりでした。
抗HIV薬の投与開始
抗HIV薬にはいろんな種類があります。1日にどのくらいの数の錠剤を飲むのか、何と併用して飲むのか、副作用はどんなものがあるか、などいろんなことを勘案した上で薬剤師と一緒に薬を決めます。
私はこの中から、「1日1錠で1日1回」など楽そうなのが魅力的だったので、スタリビルドを選びました。スタリビルドはツルバダなどの有名な抗HIV薬に比べて、もっとも新しい抗HIV薬と言われています(新しいからか上記の抗HIV薬の表にも入っていないですね)。そのため長期的に服用するとどのような副作用が起きるのかは、あまりわかっていません。それはスタリビルドに限らず他の新しい抗HIV薬においても同じことではあります。何十年も薬の開発を待っていられないからです。今では、私は毎朝朝食後にスタリビルドを1錠飲んでいます。夜中にオールで遊んだ日の翌朝などは起きて朝食食べて飲まなきゃいけないので辛いですが、それ以外では、生活で支障を感じたことはありません。副作用も、最初の2~3週間はちょっとダルいかな?と思ったくらいで、ほぼ何もないですね。何もなさすぎて、本当に飲む必要あるのか?なんて錯覚を感じてしまうくらいです。笑
スタリビルドを飲み始めて、200を切っていた私のCD4は一気に伸びて、次に診断を受けた時は400〜500くらいありました(比較的効果が出るのが早い薬だとも言われていますし個人差はあります)。それまで毎日のようにお腹を下していたのですが、ピタっと止まりました。体内のHIVの数も劇的に減少し、心なしか元気になってきたように感じます。
これは多くの人にぜひ知っていて頂きたいことでもあるのですが、抗HIV薬を飲むと体内に存在するHIVウイルスはどんどん減少し、そのうち”検出限界未満“という結果が出ます。これは「血液を採取したけど、HIVウィルスを見つけられません」という意味です。HIVウィルスに感染していて薬を飲んでいない人からの感染経路すら、性交渉や母子感染などでしか感染しないウィルスなのに、血液内にHIVがほぼ存在していない状態で、どうやって周囲の他人に感染させられると思いますか?注射器の打ち回しや性交渉でもしない限り、どう頑張っても感染しません。
障がい者への差別意識
私は、自分の中での混乱や、強すぎるショックで患ってしまった精神病を治すための手がかりやきっかけになればと思い、NPO法人ぷれいす東京 という、HIV感染者がお互いのことを話し合うネスト・プログラムというものに参加しました。あの時は、藁をも掴む気持ちで、とにかくできることをやろうと必死でした。そこでは、HIVへの感染が発覚して6ヶ月以内の人だけが集まる会合をやっていたので、そこに参加しました。
プログラムのルールで詳細に誰が何を言った等、個人を特定するようなことをインターネットに書くことは禁止されているのであまり詳しくは書けませんが、会合では5~6人ほど毎回集まっていました。ほとんどがゲイの人でしたが、女性の人もいました。目が赤くて、何日も眠れていない様子の人が何人もいました。私と同じように、感染へのショックで精神病にかかり、精神薬を飲んでいる人もいました。1人ずつ自己紹介して、自分がどんな人か、なぜ感染がわかったか、その時の気持ちなどいろんなことをお互いに共有しました。あの時、とにかく現実を受け入れるのが辛かったので、一緒に考えてくれる同じ感染者を、お互いを必要としていました。
たとえ医者やネットやいろんな所で情報を得ることができても、実際に自分と同じ境遇にいる人間に会えるだけで、心が楽になります。自分だけじゃないと思えますし、HIVに感染してから数十年ですという大先輩の陽性者の方から話を聞いたりすると、「なんだ、思ったより大したことないじゃん」とだんだんと思えてきます。
私はそこである人が会合で言ったことを鮮明に覚えています。ある人が「自分が重度の障がい者になるということを中々受け止められない」と言ったのですが、それに対してある人が「僕は障がい者手帳を取得したって何とも思わない。だって、それが嫌だって言ったらそれは自分が障がい者になりたくないという意味だし、それは障がい者への差別意識の表れだから。」
正直、障がい者手帳に「第1級身体障害者」「重度かつ継続的障害者」などといった”レッテル”を押されたと思っていた私はこの言葉を聞いて、自分はなんて最低な人間だったんだろうと思いました。障がいを抱えていようが、乙武洋匡さんだったり、パラリンピックの選手たちだったり、素晴らしい人はたくさんいます。私は障がい者の人に差別意識を持っていたのです。たとえHIVにかかって、精神的に腐っても、人を差別するような人間だけにはなりたくない。私は心から反省し、今は第1級身体障がい者と書かれた障がい者手帳を、恥じらいなく他人に見せます。恥ずかしいことなど何もないと思っています。
HIV感染を友人に告白
心がある程度落ち着いた頃、私が一番仲良くしている親友にHIVに感染したことを伝えました。その人は女性で(てかギャル)、いろんなことを話したり、遊びに行ったり、辛いことも楽しいことも共有できる私にとって大切な友人です。
彼女と2人で、もつ鍋を食べに行った時です。お酒が進んだ所で、「実は伝えたいことがあるんだ」と切り出しました。彼女は「なになに〜?」と、軽いノリです。
「HIVに感染したことがわかったんだ。それも重度の。」
びっくりしていました。目を見開いて「え、マジ….!?」と。でも、その次の一言で僕はとても救われたんです。
「まぁでもHIVっしょ?抗HIV薬飲めばオールオッケーじゃね?」
「私中高あたりの授業で勉強したけど、HIV感染者の唾を満杯にしたバケツ何杯飲んだとしてもHIVって感染できないんでしょ?しかも薬さえ飲めば死ぬまで問題ないし。まぁ、それで差別するやついたらあたしがぶん殴ってやるよ」
と言い、平然ともつ鍋をまたパクパク食べ始めました。
友人はなんて思うのだろう、とかなり深刻に捉えていた私は「えーーーー!?」と驚きました。「いやそれでさ、辛くて精神薬とか飲んでるんだ」と続けたら、
「そりゃそうだわな、、私も同じ環境ならそうなると思う。あまりにも辛いことを受け止めるのって時間が必要だし、人生長いから、精神薬飲む時なんて誰でもあるって!」「いつでも話聞くからさ!私たち親友でしょ?辛い時はお互い様よ」
とても、とても嬉しかったです。とても、心から救われました。彼女は、実はお嬢様が通うような女子校出身で、性感染症についてちゃんと学校で勉強したので、HIVにかかっても特に問題はないことを知っていたのです。とても深刻に事をとらえていた自分にとっては、拍子抜けだったのと同時に、自分には味方がいると思えることができました。
その後、数人に感染したことを伝えましたが、みんな「大丈夫なの?」などと、差別するどころか私の身体を一番に心配してくれました。とても救われました。もしあの時。友人たちに酷いことを言われていたら、私は1人で苦しんで、今このようにして文章を書くこともできるようになっていなかったかもしれません。
1番最初から読む | 前の記事を読む | 次の記事を読む |