地獄の専門家に聞いてみよう!
3/7に放送された月曜から夜ふかしをご覧になった方はご存知かもしれません、地獄の専門家、鷹巣純教授。
なにやら訂正したいことがあるとかで・・・
放送内容は、日の当たらない研究をしている人を特集するというもの。
鷹巣教授は小さい頃に読んだ妖怪大図鑑がきっかけで地獄の世界にのめり込んだとか・・・放送ではマツコ・デラックスにちなんでか、同性愛に関する地獄の刑も紹介されていました。
このやや嬉しそうな顔がちょっと可愛いですよねw
そうなんですよ。いい表情をしているでしょう?これは滋賀県の聖衆来迎寺というお寺が持っている国宝の『六道絵』という鎌倉時代の作品。掛け軸15幅からなる大作の、3幅目の掛け軸の一部分です。この絵の模写は江戸時代に大量に流通するんですけれど、こんなキュートな表情はこの絵だけなんですよねえ。それだけにこの亡者に申し訳なくてねえ。
彼、無実なんです。
え?あの絵は実は同性愛の刑を描いたものではなかったんですか?
そうなんですよ。同性愛の地獄として紹介しちゃいましたけれど、これは全くぼくの記憶違い。悪いことをしちゃいました。
それはそれは…。で、彼の罪は、何だったんですか?
小児性愛、それもチャイルドレイプなんですよ。
あら!だいぶ間違えましたね!
そう、その通りなんですが、悪党でも、していないことをしたといわれちゃあ、きっと不本意だったでしょうからね。
それが先生の頭の中で、同性愛とどうしてごっちゃになったんでしょう?
そこなんですよ。ちょっと詳しく説明しますとね、日本の地獄絵は、10世紀に源信という天台宗のお坊さんが編纂した『往生要集』という本を参考に描かれることが多いんですが、その『往生要集』では、性愛がらみの罪はひとまとめに衆合地獄という地獄で対応することになっています。この衆合地獄には細々とした罪に対応して16の小地獄が付属しているんですけれど、チャイルドレイプ担当の小地獄「悪見処」の説明のすぐ次に、男性同性愛担当の「多苦悩処」の説明が続いていまして。それで頭の中でごっちゃになっていたようなんですね。
じゃあ、同性愛の地獄も、やっぱりあるにはあるんですね。
ええ。例の嬉しそうな亡者の隣で、絵にもなっていますよ。国宝はさすがに恐れ多いので、ぼくの手持ちの資料で確認してみましょうか。『和字絵入往生要集』という江戸時代(19世紀半ば)の木版刷りの本の挿絵です。ほら、これが「多苦悩処」の出てくるページですね。
で、この部分が、「多苦悩処」ですなあ。
地獄で、亡者が生前付き合っていた彼と出会うんです。ところが彼、全身がべらぼうに熱い。うっかり抱きしめられちゃうとあまりの熱で亡者は木端微塵。それで逃げようとすると今度は崖から落っこちて、火を吹く猛獣・猛禽の餌食になるという…。熱い抱擁って言うとロマンティックですけれど、ものには限度がありますよね。
まさに燃えるような恋…地獄の刑って1人で受けるイメージがあったのですが会いたい人が出てくるところはドラマチックですね…なんとなくですが、罪として描かれていてもそこに愛があったということは認められているような印象を受けます。チャイルドレイプも同性愛も「性にまつわる罪」ということでいっしょくたにされていたようですね・・・。
うんうん、そうですよね。ただ、仏教はものすごく長い年月にわたって、さまざまな地域のいろいろな立場の人たちのそれぞれの思いを受け入れながら形成されてきた宗教ですから、この表現だけを採り上げて仏教の倫理観を固定化するのは、あまり現実的ではありません。これも何かの縁なので、地獄の表現を通して、日本で性がどのように扱われてきたのかを見ていきませんか?
おもしろそうですね!!ぜひ聞かせてください。
地獄絵の歴史はインドからはじまる!
地獄絵はインドが発祥なんですよね?やはり仏教の観点からですか?
ええ、仏教の地獄はインド起源です。そして東アジアの地獄は全部そこが起源です。仏教が伝わるまで、中国にも、韓国にも、日本にも、地獄というアイデアはありませんでした。ただし、地獄が仏教の発明かというと、そこはちょっと微妙です。古代インドにはヴェーダと呼ばれる聖典に基づく信仰がありましたが、その中でも仏教の地獄と近いイメージの地獄が語られていて、どうもそちらの方が古そうなんですね。マヌの法典なんかにも地獄が語られています。古代インドで流通していた地獄のイメージを仏教が取り込んだ、というのが妥当な理解でしょう。
地獄絵というものを当時の人たちは、娯楽の一つ、もしくはより恐れ多い宗教的なもので見ていたのでしょうか?
地獄絵の最初の用途は、世界を理解するための教材、あるいは因果を理解するための教材、というようなものだったと思います。初期の仏教徒のルールブック、これを「律」というんですが、それには修行僧の学習のためにいろいろなところに絵を描くよう指示が記されています。その中に、地獄絵についての指示もあるんです。地獄絵、どこに描かれたと思います?
やっぱり熱いところとか?
スルドイですね!その通り、『根本説一切有部毘奈耶雑事』という律によれば、地獄絵は、お風呂のボイラー室に描きなさい、と指示されています。寺院では、生活のすべてが修業とされていましたから、「せっかく熱いところにいるんだから、地獄のことでも考えなさい」ということなんでしょうね。地獄には責め苦とともにそこへ堕ちる理由である罪が対応していますから、これによって修行僧は世界における原因と結果のつながり、すなわち「因果」を学ぶことになるわけです。
ところで地獄の刑にはだいたい何種類くらいあるものなんでしょうか?
それは意外に難しい質問ですよ。答えるにはまず、地獄の数が決まらなければなりません。よくあるのは八大地獄という考え方。これ一つとっても、実にややこしい。これには文字通り地獄が8つという場合もありますが、熱地獄8つに寒地獄8つ、あわせて16地獄である場合もあります。さらに、熱地獄は8つだが寒地獄は10ある、という意見もあります。そのうえで、それらの地獄は大地獄で、大地獄には小地獄が付属するのだ、という意見もあります。大地獄全体に16の小地獄が付属するという意見もあれば、大地獄のそれぞれに16ずつの小地獄が付属するのだという意見もあります。さらにそうした組織性から離れて個別に存在する「孤地獄」が無数にあるという意見もあります。もうこうなると、地獄の数の段階でお手上げです。また、八大地獄とは全然別の意見だってあります。そのうえ、それぞれの地獄に刑は1つとは限りませんから、刑の数となるとさらにお手上げです。
…確かにお手上げですね。
じゃ、一般の日本人は地獄の数をどれくらいと認識していたんでしょう。八大熱地獄のそれぞれに16小地獄が付属すると、合計136地獄です。ここには寒地獄がカウントされていませんが、日本の江戸時代頃までの文献では「全地獄」のような意味でしばしば「一百三十六地獄」というフレーズを見かけます。日本人の常識としてはこんなところだったのでしょう。
日本では明治までは同性愛には寛容だったという意見もあるのですが、地獄絵の歴史からするとどうなのでしょうか?
これは、まさに「いろいろ」です。この問題は、そのほかの性道徳とも絡めて、それぞれのケースごとに見た方がいいでしょう。
なるほど!なんだかまだまだ奥が深そうですね!ぜひ次回に続きを聞かせてください!
写真提供:鷹巣純教授所有、週間文春