ひたすら歩き続けた45年間
2015年6月、アメリカ合衆国の最高裁判所が同性婚を合憲と認めたことにより、ついにアメリカの全土で同性愛者の権利が認められた。これからの新しい時代を感じさせる、歴史的な瞬間である。しかし、同性婚の権利は決して自然に得られたものではなく、アメリカのLGBTたちは今日に至るまで地道な努力を重ね、差別に負けない強い信念を持ち続けたのである。ここではアメリカのLGBTの権利獲得の歴史を振り替える。
ストーンウォールの反乱
45年前の1969年、アメリカでは同性愛は”ソドミー法”という法によって禁止されており、同性愛であることが警官に発見されると罰金刑などを課せられる状況だった。同性愛者たちは警察に怯えながらも、ゲイバーなどでコミュニティを形成していた。”ストーンウォール”とは、当時存在していたゲイバー、”ストーンウォール・イン(Stonewall inn)”のことを指している。”inn” は本来”宿屋”の意味だが、これは警察の目を欺くためにわざと”宿屋”という名前にしたと言われている。
まさに先日同性婚が全土で合法になった日の45年と1日前の1969年6月28日に、ストーンウォールの反乱が発生。警察がストーンウォール・インに踏み込み捜査をしてきたのである。警察によるゲイバーの摘発は当時珍しいことではなかったが、ストーンウォールでついに同性愛者たちの怒りが爆発。店にいた同性愛者たちが警察に反撃し、店の近所の人たちや同様に怒りを感じていた同性愛者たちが集結し、警察を取り囲み反撃した。その後3日間にわたり警察と同性愛者たちの間で激しい衝突が繰り返された。
プライドパレードの誕生
ストーンウォールの反乱の翌年、米国初のプライドパレードがロサンゼルス、シカゴ、サンフランシスコ、そしてニューヨークで開催された。これがニューヨーク、東京、ヨーロッパ各国で今も続く、プライドパレードの起源である。
初のゲイ市長、ハーヴェイ・ミルクが当選
1977年、米国で初めて、オープンリーゲイの立候補者がサンフランシスコ市長に当選した。映画”ミルク”でも有名な、ハーヴェイミルクである。彼はメディアなどで非常に注目を浴び、米国のLGBTの歴史に残る偉大な活動家であったが、当時の別の政治家に1978年に暗殺されてしまう。だが、たとえハーヴェイミルクが倒れたとしても、その後もLGBTたちは歩み続けたのである。
マサチューセッツ州で同性婚が全米で初めて認められる
2004年、マサチューセッツ州において、全米で初めて同性婚が認められた。その翌年にはコネチカット州、さらにその翌年にはニュージャージー州で同性婚が認められた。その後の流れは、以下の画像の通りである。
日本にも可能性はある
日本はもともと同性愛に対してかなり寛容な国だ。明治時代にキリスト教が流入するまでは同性愛は当たり前のように存在していた。渋谷の同性パートナーシップ条例の動きもあり、同じ東アジアに属する台湾では2つの市で同性パートナーシップ条例が認められている。日本で同性婚を認められる可能性は今もある。日本もアメリカに続いていきたい。
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http://www.sodahead.com/
http://www.cbsnews.com/
http://iamharveymilknyc.com
https://jerbearinsantafe.wordpress.com
http://timelines.latimes.com/gay-marriage/
http://www.huffingtonpost.jp
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http://www.infoplease.com/
http://www.civilrights.org/